欧米の中央銀行が、リスク資産を買う「非伝統的な金融政策」に相次いで踏み切った。日本の経験からいうと大した効果は期待できないが、やってみる価値はあろう。いま欧米の置かれている状況は、金融機関の仲介機能が崩壊した非伝統的な不均衡状態だからである。同じ意味で、財政政策という非伝統的なマクロ政策も、一時しのぎの役に立つ可能性はある。

しかし日本の不況は、「円安バブル」の崩壊で輸出産業が打撃を受けた伝統的な不況だ。日銀が社債やCPを買うのは、欧米の非伝統的政策へのおつきあいだろうが、大した効果は見込めない。こういうとき「日銀が通貨供給を増やせばデフレが止まる」という人がいるが、通貨を供給するだけでインフレになるなら簡単だ。こういう人の頭には、おなじみの貨幣数量方程式があると思われる:

 MV=PT

このMは市中に流通する通貨の量だが、中央銀行の供給する通貨(マネタリーベース)を増やしたらP(物価水準)が上がるとは限らない。いくらマネタリーベースを増やしても、預金などを含むM2は民間の貨幣需要で決まり、Mが上がってもV(流通速度)が下がるとPは上がらない(Tは取引量)。こういう誤解を防ぐため、今年から日銀はM2+CDをマネーストックと呼ぶようになった。最近の金融理論の「新しいコンセンサス」では、マネーストックは経済活動の水準で決まる内生変数で、中央銀行がコントロールすることはきわめて困難だと考えている。これは日本の経験でも裏づけられる。

世界の中央銀行のコンセンサスでも、目的関数として使われるのは物価上昇率や金利であり、マネーストックではない。インフレ目標は、この意味で伝統的な政策だが、これはインフレを抑制する目標であり、日本で一部の人々が騒いだ人為的インフレはナンセンスである。今週、Rogoffが人為的インフレ政策を提案して、多くの経済学者を驚かせた。
Fortunately, creating inflation is not rocket science. All central banks need to do is to keep printing money to buy up government debt. The main risk is that inflation could overshoot, landing at 20% or 30% instead of 5-6%. Indeed, fear of overshooting paralysed the Bank of Japan for a decade. But this problem is easily negotiated. With good communication policy, inflation expectations can be contained, and inflation can be brought down as quickly as necessary.
今年3月にインフレのリスクを警告した経済学者が、1年もたたないうちに「インフレは容易に切り抜けられる」というのはどういうわけだろうか。しかも「貨幣を印刷すればインフレが起きる」というのは、クルーグマンでさえ言わなかった素朴貨幣数量説である。今のように貨幣需要が収縮しているとき、いくらマネタリーベースを増やしても銀行の中央銀行口座に「ブタ積み」になるだけだ(事実なっている)。理論的に考えられるのはインフレ期待を作り出すことだが、これも不可能であることはクルーグマンも認めた。

IMF理事もつとめたRogoffほどの経済学者が、こういう愚かな議論を今ごろ蒸し返すのは、日本の経験が世界に共有されていないからだろう。日銀は、その高価な失敗の教訓を世界に伝える義務がある。

追記:英文ブログにも書いた。