動物行動学で「刷り込み」という現象がみられるが、人間の思考にも刷り込みがあるとすれば、たぶん10代までだろう。学生時代からあとは、本質的な変化はないような気がする。私は著者の『唯物史観の原像』を高校3年のとき読み、大学1年のとき彼の科学哲学のゼミにもぐりこんで、圧倒的な影響を受けた。今でも、私の思考の「第1レイヤー」は廣松によって作られたと思う。

本書は彼の初期の作品の30年ぶりの再刊で、名大で全共闘と一緒に闘って辞職し、プータローだったころの本だ。このころ彼は、生活のために大量の原稿を書き、年に5冊ぐらいのペースで本を出していた。彼の読書と執筆のスピードは驚異的で、死去したときは400字詰めで1万枚の未発表原稿が残されていたという。

彼の代表作も、この浪人時代に集中している。『原像』も『マルクス主義の地平』も『マルクス主義の成立過程』も、このころだ。本書もその時期の著書だが、彼の「本流」の作品とは違うので、廣松を最初に読む人にはおすすめできない(主著は学部の卒業論文!)。ただ、また「疎外論」が悪い意味で注目されている昨今には、読む価値があるかもしれない。

いま読みなおしておもしろいのは、マルクスが法哲学徒として出発したことだ。ヘーゲルの法=権利の哲学は、近代初期の社会科学を集大成して、その後のあらゆる分野に影響を与えた巨大なモニュメントである。それはカントの「定言命令」に代表される啓蒙的な自然法思想を否定して、「自然」な道徳などというものは存在せず、近代国家の法は「欲望の体系」としての市民社会の疎外態だとする。

これは法哲学という学問の否定で、法は経済システムの「上部構造」だという現在に至る社会科学の通念の元祖である。フォイエルバッハはこの大前提を認めたうえで、ヘーゲルの「絶対精神」を「類的存在」に置き換えた。『経済学・哲学草稿』のころのマルクスは、基本的にフォイエルバッハの枠内にあるが、社会主義運動の影響を受けて、フォイエルバッハの類的存在=人間の概念もヘーゲルと同じ観念にすぎないのではないか、と問題提起するところで終わっている。

このあとマルクスは「フォイエルバッハ・テーゼ」で、人間の本質は社会的諸関係のアンサンブルだという有名な認識にたどりつく。この転換を廣松は「疎外論から物象化論へ」と表現したが、これはいま思えば廣松哲学の読み込みだった(物象化という言葉もマルクスは使っていない)。マルクスの唯物論(Materialismus)は、ヘーゲル的な大文字の主体(超越論的主観性)を否定して、具体的(material)な現実にすべてを還元することだったのではないか。この意味では、認知論的転回の元祖だったのかもしれない。

・・・などと際限なく最新の思想的ファッションに合わせて読み込みできるところがマルクスの特長だが、やはり彼は近代市民社会の亡霊性の背後に「労働」とか「共同体」という本質を措定していたというデリダの批判はまぬがれない。廣松の晩年の議論も形而上学的になって、行き詰まってしまった。それは「学問」として格好をつけるためには、生成の側面を捨てて完成されたコードの体系を見せなければならないというアカデミズムの限界だろう。彼の代表作が浪人時代に書かれたのは、偶然ではない。