自民党の「米粉加工食品を普及推進する議員連盟」が発足し、福田首相が食糧危機に関連して「こういう内外情勢になると、食糧自給率を上げることは国家戦略上の課題だ」とあいさつしたという。この点は民主党も同じで、「自給率100%をめざす」などと言っている。

しかし、この政策は論理的に間違っている。いま起こっている食糧危機は、穀物価格の上昇である。以前の記事でも書いたように、高騰した小麦の国際価格でさえ、国内価格の約半分。米は1/3だ。自給率を高めるというのは、割高な国内穀物を増産することだから、価格高騰の対策にはならない。むしろ自給率(国内農家)を守るための補助金が、穀物の価格をさらに高くしているのだ。

では、供給の絶対的不足は起こるだろうか。1993年、米の凶作で260万トンの緊急輸入が行なわれたことがある。その原因は、減反政策で半分近い水田が休耕田になっていたためだ。普通に生産していれば、凶作になっても供給は不足しなかった。つまり凶作に備える最善の手段は、減反政策と米価の統制をやめ、米の流通を市場原理にゆだねることなのだ。

日本の食糧自給率が「カロリーベース」で39%というのは、数字を低く見せるためのごまかしで、金額ベースでは68%ある。カロリーベースというのは、たとえば豚肉の国内自給率にそれぞれの飼料自給率をかけて計算するので、豚の53%は国内で飼育されているが、農水省の定義によれば「国産豚」は5%だけだ。

しかしこの「カロリー」の定義は間違っている。飼料には穀物だけではなく、それを加工するエネルギーも含まれているから、その熱量を含む総合的なカロリーを考えると、線形計画でよく知られているように、供給量を決めるのはボトルネックになる資源、すなわち石油である。その自給率は0.3%しかないので、石油がなくなったら、穀物がいくらあっても、生きていくことはできない。

「食糧安全保障」などという政策も、安全保障の概念を取り違えたものだ。かつて日本軍は、第二次大戦で軍事費を兵器だけに集中した結果、兵站が途絶えて100万人以上の兵士を餓死させた。ボトルネックになっているエネルギーを無視して穀物だけを自給しても、安全保障にはならないのだ。日本政府は、敗戦の教訓を何も学んでいないのだろうか。

食糧危機に対応するために必要なのは、不可能な「自給自足」をめざすことではなく、食糧価格を安定させるためのリスク分散である。その基本は、供給源を特定の国に依存しないことだ。農産物の輸入を自由化して、なるべく多くの国から食糧を輸入し、一国で輸出制限や値上げが行なわれても他から輸入できるようにする必要がある。輸入を規制し、供給を日本国内だけに依存する「自給政策」は、食糧危機を増幅する最悪の国家戦略である。