Freeman DysonがNY Review of Booksに、Nordhausの新著とイェール大学で行なわれた国際会議について書いている:
Nordhausの分析は、地球が温暖化することを前提にした、環境経済学の第一人者による政策評価である。その結論は、炭素に課税することが地球温暖化に対応する必要十分条件だということで、排出権取引などは非効率な結果をもたらす有害なレトリックである。

イェール大学の会議では、科学者の賛否両論がわかれている。MITのLindzenは温暖化は起こっていると認めるが、その弊害は誇張されており、人間活動の影響も過大評価されていると主張する。これに対して議長は中立な立場だが、「多数派」を代表するポツダム大学(ドイツ)のRahmstorfは、Lindzenの議論を「世界の気象学者によって否定されたバカ話だ」と一笑に付す。

Rahmsdorfは、科学の歴史を学んだほうがいい。科学的真理は、多数決で決まるものではなく、むしろ多数派の偏見と闘って見出されたのだ。ガリレオは、死ぬまで学界でも世間でも多数派ではなかった。しかしイギリス政府の代表は、「地球温暖化に異論を唱える科学者の意見は無視する」という政府の方針を表明した。彼らは科学に対して、中世のカトリック教会と同じ態度をとっているのだ。

環境保護主義は、現代の宗教になってしまった。それは社会主義に代わる世界的な影響力をもつ世俗的宗教として、子供に教え込まれる。その根本的な考え方は、間違ってはいない。人類が環境を破壊し、多くの生物を絶滅させている現状には、歯止めをかけなければならない。しかし環境問題の中で、地球温暖化は最大の問題でも緊急課題でもない。むしろ環境問題といえば温暖化ばかりに注意が集まることが、他のもっと重要な問題から世論の関心をそらしているのである。
アメリカでは、まだこういう論争が行なわれているだけましだ。日本では気象学界ばかりか経済学界まで、宇沢弘文氏佐和隆光氏のような学界の大御所が「環境利権」のボスになって研究費を配分しているため、温暖化説を批判することさえできない。特に宇沢氏は「温暖化で人類が滅亡する」と信じ込み、それに懐疑的なNordhausのような研究者を「アメリカ政府に魂を売った御用学者」と攻撃している。御用学者はどっちだ。

特に今月は「環境月間」とかで、NHKを先頭に、あらゆるメディアで「温暖化教」の大合唱で、うんざりする。ほとんどの視聴者はIPCCのデータも見たことがないから、これだけ世界中で繰り返されると、信じてしまうだろう。トッドもいうように、宗教から脱却するにはリテラシーが必要だが、メディアにリテラシーがないのだから、どうにもならない。せめて図のように昨年から1年半にわたって、観測史上最大の寒冷化が全世界で続いているという事実ぐらい伝えるメディアはないものか。


追記:「温暖化の原因は太陽活動だ」という論文Physics Todayに発表した米陸軍の専門家が上院の公聴会で証言し、きのう排出権取引法案は廃案となった。サミットではアメリカががんばって、理性的な議論が行なわれることを期待したい。