ご存じ高橋洋一氏の、財務省への決別の辞。といっても、ありがちな暴露本ではなく、半分ぐらいは名著『財投改革の経済学』の一般向け解説だから、専門書を読むのがつらい人は、本書を読めばだいたいのことはわかる。あとの半分は彼の個人史で、酒の席で聞いた話に比べるとかなりおとなしいが、一般の人が読むと驚くような霞ヶ関の内情が書いてある。

ちょっと意外だったのは「大蔵官僚が数字に弱い」という指摘だ。著者が財投のファンドマネジャーになる前は、金利リスクもヘッジしないで、兆単位の穴があくような運用をしていたという。たしかに東大法学部卒で、経済学も会計も勉強していない人がやるのだから、そんなものかとも思うが、数百兆円の会計を「丼勘定」で運用していた実態にはあきれる。

著者が理財局にいたときやった資金運用部の解体(財投債の発行)によって、財投改革の「本丸」は終わっていた。一般には知られていないが、ここが実は最大の分かれ道で、民営化はそこから必然的に出てくる結果にすぎない。だから小泉内閣で行なわれた郵政民営化は、本丸が落ちてから外堀を攻めるような奇妙な闘いだったのだが、著者は不思議なめぐりあわせで、民営化も手がけることになる。彼がいなければ郵政民営化はできなかったし、その必然性もなかった。

おかげで彼は、財務省から徹底的にきらわれ、帰る場所もなくなった。それでも彼がこういう道を選んだのは、専門知識のおかげで、転職という外部オプションがあったためだと思う。普通のキャリア官僚は、いろいろなセクションを転々として、役所内の根回しのような文脈的技能しか身につかないので、民間でつぶしがきかず、役所にしがみついて天下りまで斡旋してもらうしかない。しかし彼のように財政や金融の知識があれば、いざとなったら辞めるというオプションがあるので、平気で役所の方針と違うことをやるわけだ。

今度の公務員制度改革に問題があるのは、そういう官僚のキャリア・パス全体の改革につながらない点だ。今のような「ジェネラリスト」養成の人事ローテーションをやめて、専門知識を身につけさせ、どんどん民間に出られるようにすれば、役所の中でも思い切ったことができる。それによって霞ヶ関も活性化するだろう。今のままでは、著者もいうように、霞ヶ関は小泉政権以前の状態に戻ろうとしているようにみえる。