きのうの記事には、予想どおりアップル・ファンからたくさん批判が来たが、多くの人がしゃれだとわかってくれたようだ。「まぐれ」は誰にでもあるが、それを「当たり」として実現するには大変な才能と努力が必要だ。ジョブズの成功は、単なる偶然ではない。

ただジョブズをほめる話の多くが、生存バイアスの強い結果論であることは否めない。本書もその域を出ないが、いまだに「ものづくり」や「すり合わせ」にこだわっている財界や役所の人々には読んでほしいものだ。

以前の記事でも書いたように、ITの世界では株主資本主義には限界がある。奴隷制が禁止されているので、株主はもっとも重要な人的資本をコントロールできないからだ (*)。したがって「企業は従業員のものだ」という日本的経営にも一理あるが、そこで大事にしているのは個人ではなく、会社に忠実な「従業員」だ。そして従業員も、その会社が好きで一生いるわけではなく、やめても他の会社で生かせる専門知識がないから、会社にしがみついているだけだ。

いいかえれば、従来の日本企業は会社をタコ部屋にする「擬似奴隷制」によって従業員をコントロールしてきたわけだ。しかしこういうしくみは、労働市場が流動的なIT産業では、維持できない。では、そこで企業を統合するものは何だろうか。ジョブズは、Fortune誌に、ひとことだけ答えている:
"One of the keys to Apple is that we build products that really turn us on."
要するに「おもしろい仕事をする」というモチベーションによって、アップルは統合されているのだ。これは社員の「幸福度調査」を毎年やっているグーグルとも似ている。本書のいう「アート・カンパニー」は、こうした企業だ。デザインで大事なのは、Rajan-Zingalesのいう完成度(integrity)だから、日本の企業のようにいろんな人の利害調整をしていては、中途半端なデザインしかできない。トップが独断で決め、それがいやな社員は辞めればいいのだ。

創造的なデザインのためには、市場をいくら分析してもだめだ。それは古い製造業の「品質管理パラダイム」の発想だ、と著者はいう。新しいデザインは前例がないから価値があるので、「創造パラダイム」では、つくる側が仮説を立てて実験し、失敗したらやめればよい。その歩留まりは、必ずしも高くない。1本のヒットで10本の失敗作の元をとるといわれる映画に近いだろう。

日本の企業にも、そういう変化は可能だ。ソニーのウォークマンは、盛田昭夫が社内の反対を押し切って商品化したものだし、本田宗一郎が四輪車を開発したときも、社内では反対論のほうが多かった。それを突破し、インテグリティを押し通せる経営者が必要なのだ。この意味で、ジョブズが世界一の経営者だというのは、間違っていない。

(*)当ブログには専門家の読者も多いので、念のためいうと、資本主義は物的資産をコントロールすることによって、解雇という形で間接的に人的資本をコントロールするメカニズムである。しかし解雇されても他の企業にすぐ移動できると、このコントロールは弱くなる。