小倉秀夫さんのブログで教えてもらった。内容は、専門家にはよく知られている著作権法上もっとも重要な事件のひとつ、「ドナルドソン対ベケット訴訟」の解説だが、ここまでくわしいものは海外にもない。概要は白田秀彰『コピーライトの史的展開』にもあるが、これは品切れなので、本書は(入手可能な本としては)著作権の初期の歴史についての日本語で読める最良の文献だろう。

この訴訟は、スコットランドの詩人トムソンの詩集『四季』を出版した書店主ドナルドソンに対して、その原著を出版したロンドンの書店主ベケットが「コピーライトの侵害だ」として、1774年に起したものだ。トムソンは1748年に死去し、当時の法律(アン法)で保護された「死後14年」を過ぎていたので、被告は「出版は合法だ」と主張したが、原告は「コピーライトは永遠だ」と主張した。

・・・などと厳密に解説すると膨大になるので、ディテールに興味のある人は裁判記録を読んでほしいが、要は原告が三田誠広、被告側代理人が小倉秀夫、と思えばよい。本書のおもしろいところは、この訴訟がとても200年以上前の事件は思えないことだ。いくつか引用してみよう:
原告:書店主たちの自由は、彼らの所有物に与えられている追加的な保証から生じるものです――これを支持する以外にないのです。もしこれが文学の振興にならないというなら、みなさん、何が振興になるのかおうかがいしたい。

被告:書店主のひとたちはね、みなさん、ごく最近まで著者などというものに関心はなかったのですよ。立法府に請願するために、著者を使ったのです。自分たちの所有権を確かなものにするためにね。[・・・]文学の所有権などというものは、無知な書店主らによるスキャンダラスな独占を招きますよ。ほかのひとの才能のおかげで書店主は肥え、抑圧することで書店主は豊かになっています。

裁判官A:法律書にこんな判例があります――首に鈴をつけた鷹が逃げて、その鷹をつかまえたひとが、慣習法[コモンロー]にもとづいて訴えられました。著者の名前がついた本は、首に鈴をつけた鷹のようなものです。それを海賊したひとは誰であろうと、訴えられるでしょう。

裁判官B:機械の発明者は、著者のように彼のアイデアを公衆のものにしたのです。発明者が彼の機械を売ったのに、買ったひとにはそのモデルにつづくものを作る権利がないとは、聞いたことがありません。機械発明品を作る排他的な権利は、独占禁止法で奪われています

裁判官C:かつて国王が印刷の権利は自分にあると主張したとき、彼はその権利を特許という形にしました。彼の独占をより強めるために印刷業者を結びつけ、組合を作りました。その決まりでは、組合員でない者は本を印刷してはならなかったのです。[・・・]考えるひとはすべて生きているかぎり自分のアイデアに権利をもつのでしょうか? 彼はいつその権利を手放すのでしょうか? それはいつ公共のものになるのでしょうか?[・・・]もしこの世界に人類に共有さるべきものがあるとすれば、科学と学問こそが公共のものです。それらは空気や水のように自由で普遍的であるべきです。
そして判決は被告の勝訴に終わり、コピーライト(著作者の権利ではなく版元の複製権)は死後14年で消滅するという判例が確立した。これがその後の有限期間のコピーライトという概念につながったのである。もし、この訴訟で被告が敗訴していたら(この訴訟の前にそういう判決が出ていた)、コピーライトは財産権と同じ永久の権利になっていただろう。

本書に紹介されている議論を読んでも、原告側(及びそれに賛成する裁判官)の主張にはまったく説得力がない。鷹の首の鈴というしゃれた話があるだけ、三田氏よりましなぐらいだ。他方、被告側が「業者は既得権を守るために著者をダシに使っている」と指摘する点も、小倉さんとそっくりだ。彼もいうように、法律家は200年以上も同じ論争を繰り返してきたのかと思うと、彼らの怠慢に文句もいいたくなる。

私が興味をもったのは、イギリスの裁判で「それは慣習法にない」という言葉が、ほとんど「それは憲法違反だ」という意味で使われていることだ。慣習法=常識はどこにも書かれていないから、こういう論争は堂々めぐりになるおそれも強いが、世の中の常識が変わればルールを柔軟に変えることができる。18世紀のイギリス人の常識に、われわれは感謝しなければならない。

もうひとつは、訴訟によって当事者が公衆の見ている法廷で論争することが、説明責任の源泉になっているということだ。アメリカのように「過ぎたるは及ばざるがごとし」という面もあるが、日本では訴訟が起きないため、業者も行政も密室で談合を続けてきた。かつてはそれを壊すのは外圧だったが、これからは消費者の集団訴訟だ。あす議論するB-CASも独禁法違反の疑いが強いので、公取委に告発するのも一つの手段だろう。