北一輝といえば、一般には二・二六事件を煽動した狂信的なファシストぐらいにしか思われていないだろう。しかし私は、彼は近代日本のもっとも重要な思想家の一人であり、現代にも深い影響を与えているという点では、ほとんど福沢諭吉に匹敵すると思う。彼の伝記の決定版は、松本健一『評伝北一輝』だが、本書もコンパクトな入門書としてよくまとまっている(1985年初版の本の文庫による再刊)。

著者も指摘するように、北の基本思想は昭和期の右翼のような超国家主義ではなく、むしろマルクスに近い社会主義である。それが国体に反するがゆえに、彼は天皇を前面に出したが、実質的には天皇機関説に近い立場をとっている。彼は明治維新を、天皇という傀儡を立てた「社会主義革命」だと規定し、来るべき革命はそれを完成させる第二の革命だと考えていた。

彼が1920年に書いた革命構想、『日本改造法案大綱』はウェブサイトで全文が読めるが、華族制の廃止、普通選挙、言論の自由、農地改革、労働8時間制、義務教育制、基本的人権の擁護など、戦後改革を先取りするような項目が含まれている。事実、社会主義者の多かったGHQ民政局は、戦後改革を立案するにあたって『改造法案』を参考にしたといわれる。

北の基本思想は、今風にいえば、列強が力によって全世界に押しつけようとしたグローバルな市場原理主義を「道義を忘れ利潤を追求する資本家のエゴイズム」として否定し、さらに高次の個人と社会を止揚した共同体国家を建設しようとするものだった。したがって100万円以上の私有財産は国家が没収し、絶対的な平等社会を実現しようとした。こうした救貧思想は、当時の疲弊した農村から出てきた青年将校の心をとらえた。

しかし彼が幸徳秋水などと違ったのは、この革命を天皇の権威を梃子にしたクーデタとして実行しようと考えた点だった。さらに帝国主義が領土拡大のために互いに激しく争っている時代に、それを座視することは自国を侵略される結果になるとし、対外的膨張主義を主張した。これは単なる植民地主義ではなく、宋教仁(孫文のライバル)などの「支那革命」と連携して、西洋文明に対抗する東洋的共和政を実現しようとするものだった。

こうみると、北の思想は(そうとは意識されないで)今日の日本にも受け継がれていることがわかる。北を「思想的先達」と仰いだ岸信介は、満州国で計画経済によって「五族協和」の理想を実現しようとし、それを雛形として戦後日本で官僚主導の産業政策を進めた。その影響は、いまだに霞ヶ関に色濃く残っている。利潤を求める企業や私利私欲で動く政治家を排し、選ばれたエリート(北の場合は軍人)が国家を統治しようという北の「賢人政治」の理想は、現在の官僚のエートスとそう違わない。

そして北の社会主義思想は、戦後も社会党やそれに随伴する朝日=岩波文化人に受け継がれる一方、国家を個人より上位に置く北の思想は「ゴーマニズム」に戯画化される右翼文化人に受け継がれている。彼らは、思想的に正反対のようでいて、ともに日本近代の病である家父長主義の域を一歩も出ていないのである。