「丸山眞男をひっぱたきたい」の反響は、単行本が出てようやく世の中に広がってきたようだ。ちょうどDankogai氏からTBが来たので、あらためてこのむずかしい問題を考えてみたい。

Dan氏の表現を私なりに言い換えると、赤木氏の表現はあまりにも否定的で、自分の置かれた状況を肯定するパワーが欠けているということだろうか。たしかに歴史的には、フリーターは「非正規雇用」ではなく、20世紀初頭までは技能をもつ職人が腕一本で職場を転々とするのが当たり前だった。請負契約を蔑視するのも間違いで、これは産業資本主義時代のイギリスでも19世紀の日本でも「正規雇用」だった。しかし第1次大戦後、重工業化にともなって工程が大きな工場に垂直統合され、職工を常勤の労働者として雇用する契約が一般的になった。いわば資本主義の中に計画経済的な組織としての企業ができたのである。

だが今、起こっているのは、この過程の逆転だ。かつては一つの工場の中で完結していた工程が、IT産業ではグローバルに分散し、ほとんどの中間財が世界市場で調達される。かつては一つの「大部屋」で濃密な人間関係によって行なわれた事務処理も、ネットワークで地球の裏側からできるようになった。『不安定雇用という虚像』という調査も示すように、フリーター自身は必ずしも自由な雇用形態を不安定とは思っていない。IT化・グローバル化した現代のビジネスでは、Dan氏のような自由労働者が「正規労働者」で、終身雇用のサラリーマンが「非正規」なのである。

だから赤木氏もいうように、雇用形態による解雇制限の差別を禁止し、すべての労働者を契約ベースの「フリーター」にするぐらいの抜本的な改革が必要だ。年功序列という名の年齢差別も禁止し、年金もポータブルにして退職一時金も廃止し、全労働者を機会均等にすべきだ。同時に職業紹介業も完全自由化し、民間の雇用データベースを充実させる必要がある。このように人的資源を労働市場で再配分することが、OECD諸国で最低レベルに転落した日本の労働生産性を上げるもっとも効果的な手段でもある。

しかし労働市場の改革はむずかしい。資本市場については、少なくとも金融庁は問題の所在を認識しているのに、厚労省は、私に噛みついてきた天下り役人にみられるように、臨時工を正社員に「登用」するパターナリズムを政策目標だと思い込んでいるからだ。彼と同じ政策研究大学院大学(学生より教師の数のほうが多い公務員用ディプロマ・ミル)には、自分の天下りを棚に上げて「若者は我慢を知らない」などと説教する老人もいるが、こういう連中こそ赤木氏と同じ土俵に放り出して、ハローワークで職探しをさせればいい。