著者は、現役のときは大蔵省きっての論客(というか外部でものをいう珍しい官僚)として知られ、膨大な著書がある(今年だけで6冊!)。どれも似たような内容なので、それを新書版でコンパクトにまとめた本書がお買い得だろう。

90年代前半まで著者は「日本型資本主義」を賞賛し、西部邁氏などと一緒になってすべての改革を否定する「真の保守主義」を標榜していた。しかし国際金融局長として為替手数料の自由化によって「日本版ビッグバン」の引き金を引いた後は「改革派」に転向し、「グローバル化に乗り遅れるな」と説くようになった。本書もその延長上で、「よいデフレ」とか「マクロ経済学は役に立たない」などの持論を展開している。

学問的には、「よいデフレ」論には異論も多い。本書の統計にも示されているように、輸入のGDP比が10%程度で、中国からの輸入はその20%だからGDPの2%である。それが「構造的デフレ」をまねいたという議論には無理があり、日本だけがデフレになった理由も説明がつかない。公平にみて、国内要因(自然利子率の低下)と両方がきいたと考えるのが妥当なところだろう。

ただ2003年に行なわれた「テイラー=溝口介入」が失敗だったという批判は、私も同感だ。「ミスター円」といわれた著者が1ドル=80円のとき行なった介入でさえ6兆円だったのに、10ヶ月で35兆円もの資金を不胎化しないでばらまいた超緩和政策が、結果的には円キャリーによってアメリカのバブルの原因になった。これを止めたのはグリーンスパンだったので、彼を責めるのも気の毒だ。

こうした異常な金融政策の背後にあったのは、著者のいう1財モデルのマクロ経済学だ。経済学を知らない人は驚くかもしれないが、教科書的なマクロ経済学では、日本中で取引される商品は1種類しかないと仮定する。つまり相対価格の変化を捨象し、すべての価格変動は「物価水準」の変化と考えるのだ。おかげで輸入や情報技術革新による相対価格の低下と、マネーストックの変化によるデフレの区別がつかず、部門ごとの生産性格差は無視される。

しかし最近のミクロ的な実証研究も示すように、こうした構造的要因(特に非製造業の労働生産性の低さ)が日本の成長率低下の最大の原因だ。2000年代の異常な金融緩和は――当局の意図はともかく結果的には――トヨタなどの超効率的な輸出産業に円安・低金利という恩恵を与え、さらにアメリカの消費バブルによって収益を高めた輸出補助金だった。裁量的な補助金は有害だという経済学の基本原則は、マクロ政策についても正しかったのだ。

金融化の流れは止まらないので「ものづくり」にこだわっていてはだめだという点や、円高を生かして資産大国として金融資産を戦略的に活用し、アジアの金融センターをめざすべきだという結論は同感だ。しかし時代遅れのマクロ経済学に代わって著者の開陳する、プリゴジンからウォーラーステインまで横断する歴史哲学は、かなり大ざっぱで説得力がない。また著者が民主党政権の財務相と目されているのを意識してか、農業補助金によって食糧自給率を引き上げるという非経済学的な政策が出てくるのもいただけない。