リーマン・ブラザーズが破産申請した。WSJによれば、今回の処理はポールソン財務長官の「これ以上のbailoutはない」という最後通告だそうだから、今後は買い手のない金融機関はチャプター11しかないわけで、問題解決のスピードが上がるだろう。何より注目されるのは、資産総額6000億ドル以上の巨大金融機関の破綻が、買収協議が始まってわずか数ヶ月で公になり、その法的処理まで進んだことだ。

それに比べると、本書に描かれている日本の金融危機では、大蔵省の最大のエネルギーが問題を隠すことに費やされ、取材陣もどこが「はじける」かを抜くのが最大の仕事だった。著者(日経)と朝日の村山記者がトップランナーだったが、村山氏の本が客観報道に徹しているのに対して、本書は小説仕立てでとりとめがなく、中途半端に情景描写などがはさまって冗漫だ。それから検察の動きをまったくフォローしていない。

その代わり同時代史的に書いているので、政治の動きとの関連がわかる。特に危機のもっとも重要な局面(アメリカの今ぐらいの時期)に自民党政権の崩壊と非自民連立政権、さらに自社さ連立政権と政治が混乱したことが致命的だった。著者も名指ししているように、自民党に寝返った武村正義氏が論功行賞で蔵相になったことが、でたらめな金融行政の引き金になった。彼がやった2信組と兵銀の処理は順序が逆で、「EIEの高橋治則の貯金箱」といわれた2信組に公的資金を注入し、大蔵官僚2人が高橋の接待を受けていたことが判明して、銀行局の準備していた破綻処理のスキームがめちゃめちゃになってしまったのだ。

このころ取材している側は、どこが危ないかみんな知っていた。むしろ拓銀と山一と日債銀がつぶれるのに、このあと5年もかかったことが問題だ。政局が混迷を続け、社民党の首相や蔵相が出てきて、政治が脳死状態になってしまったからだ。95年ごろは大手銀行のほとんどがリーマンと同じような状態だったが、大蔵省は「分割償却」を奨励して実態を隠し、「奉加帳」で日債銀を延命し、そして2000億円がパーになった。

今回のリーマン事件は、日本でいうと1997年秋の山一廃業のころだ。このとき、長野証券局長は「ビッグバン実現のためには不良な業者が退場するのは望ましい」と山一を切って捨てたが、問題がメインバンクの富士銀行の危機に波及すると、大蔵省はあわてて翌98年初めから大手21行に横並びで公的資金の注入を始めた。これがファニー・フレディ救済に相当する。

しかし日本の経験からいえるのは、中途半端な「救済」は最終決着にならないということだ。つぶれるべきものがつぶれるまで、市場の疑心暗鬼は収まらない。今回、投資銀行の大手は一挙に片づいたので、残っている大きな「腐ったリンゴ」は、(FRBのつなぎ融資を求めた)AIGとファニー・フレディぐらいだ。特に後者は遅かれ早かれ国有化するしかないのだから、処理は早いほうがいい。