9f5fe489.pngハイエクのconstructivismは「設計主義」という変な訳語が定着したため、小谷清氏のように制度設計まで全否定するultra-Hayekianもいるが、これは誤解である。ハイエクが否定したのは、オーギュスト・コントのように政府の知っている「正しい社会」に民衆を従わせる社会工学――フーコーの言葉でいえば真理による支配――の思想である。それにハイエクが対置した法の支配においては、社会的ゲームの規則としての法をどう設計するかという問題がむしろ社会科学のコアとなる。

メカニズムデザインも、よく「計画経済」の理論と誤解されるので、本書ではplannerをあえて「運営者」と訳している。この種の教科書としてはHurwicz-Reiterが最高峰だが、一般の学生には峰が高すぎるだろう。本書はその入門的な部分をやさしく解説し、応用例も入れた日本語で初の教科書である。

ここで重要なのは、運営者がどういう状態を望ましいと考えるかではなく、多様な個人の選好を集計する合理的なルールがあるかどうかという問題だ。これについて、もっとも弱い条件(支配戦略均衡)ではそういうルールが存在しないというのがアロウの不可能性定理で、これをゲーム理論で証明したのがGibbard-Satterthwaite定理である。

この条件をもう少し強めて、人々が互いの選好を知っているとすれば、彼らにとって望ましい状態(ナッシュ均衡)を実現できるルールが存在することを証明したのが、去年ノーベル賞を受賞したMaskinで、この必要条件はMaskin単調性と呼ばれる。これは超簡単にいうと、「嘘をついても得にならない」ことだ。たとえばパレート効率的な資源配分はマスキン単調性を満たすので、誰も強制しなくても人々は取引によってそれを選ぶ。

普通の制度設計と違って、メカニズムデザインは法的なenforcementなしで実現する合意形成を考えるので、守備範囲は狭いが、逆にそれはenforcementの困難な問題を考えるヒントになる。たとえば通信プロトコルを標準化しようとしたOSIは、利害の対立するコンピュータ・メーカーの「囚人のジレンマ」(Maskin単調にならない)なので、非協力がナッシュ均衡だったのに対して、TCP/IPは非営利のボランティアだったので、協力がナッシュ均衡になる「協調ゲーム」だった。

同じような論理は、著作権などにも応用できるかもしれない。過剰規制によってコンテンツが流通しない現状は、ユーザーにとっても権利者にとっても最悪のジレンマ状態だ。たとえばコピーを自由にする代わりに契約ベースで報酬請求権を保証するような両者にとってパレート改善的な制度を提案すれば、合意形成は不可能ではないと思う。