私は法律の専門家ではないが、著作権についていろんな会議に引っ張り出されているうちに、門前の小僧ぐらいのことはわかるようになった。この世界に深く足を踏み入れるほど、本来のクリエイターの姿が見えなくなり、利権団体ばかり前面に出てくる。中でも大活躍しているのが、先日の文化審議会の私的録音録画小委員会でも大暴れを演じた椎名和夫氏だ。

私は彼の名前をロビイストとして初めて知ったが、ウィキペディアで調べると、一応、昔はギタリストだったらしい。しかしほとんど見るべき音楽活動はしていない。著作権法第14条によれば、著作者とは「著作物の原作品に、その氏名が著作者名として表示されている者」で、音楽でいえば作詞・作曲家である(*)。椎名氏が作曲にクレジットされているのは数曲しかなく、その多くは共作だ。彼のクレジットのほとんどは編曲である。

つまり椎名氏は著作者というより、それにぶら下がる著作隣接権者なのである。こうした派生的な権利を広く認めることについては批判が強い。たまたま昨日、送られてきた「ネット法についての補足説明」にも
現行法制度上著作権には登録が必要ないので、権利者が誰か不明確な場合もあり、相続等により権利者が不明となっている場合等もある。そのため、権利者全員から許諾が得られるという保証は全くない。
と書かれている。このようにすべての利害関係者が拒否権をもつ状況は、アンチコモンズの悲劇としてよく知られている。社会主義の崩壊後のロシアでは、一つの不動産に多くの人々が所有権を主張したため、住んでいた人が家を追い出され、路上で生活する結果になった。

朝日新聞によれば、自民党の知的財産戦略調査会では、「俳優や歌手らが持つ著作権を制限し、一つに集約する新制度」を検討しているそうだ。財産権のもっとも重要なポイントは、コントロール権を所有者に一元化し、彼の意思だけで権利を譲渡できることだ。たとえば私の書いた本には多くの人々が協力しているが、校閲者が「隣接権」を主張することはない。同様に、たとえば編曲者にはレコード会社が編曲料を(2次利用料などを上乗せして)払った段階で権利を消尽させるべきだ。

ただ問題は、権利を誰に集約するかである。「ネット法」のように「映画製作者やレコード製作者」などの隣接権者を著作者に昇格させるのは、以前もコメントしたように、クリエイターの権利を奪い、ネット上の直接配信を阻害する。さすがにネット法グループも、この点については「範囲の拡大」を検討するとしているが、これではアンチコモンズに逆戻りだ。

著作権の目的は、クリエイターの創造意欲を高めることだ。それに寄生する隣接権者の権利を拡大することは、権利関係を複雑にして、かえって創造活動を減退させる。権利はクリエイターに集約し、それを財産権と同様に譲渡可能にして、下流ライセンス権は廃止すべきだ。自民党の調査会が、広がる一方の隣接権に歯止めをかけ、一つの著作物に権利をもつのは一人の著作者だけという原則を確立することを望みたい。

(*)TBで指摘されたが、編曲者も「二次的著作物」の著作者と認められるようだ。しかし、こうした派生的な権利を認めるべきではないという点は変わらない。