著者は、私が非常にお世話になった恩師なので、客観的な書評はできないが、本書は日経新聞に連載されたとき話題になった、とても学者の自伝とは思えない波乱万丈の活劇である。

一つだけ補足すると、60年ブントの理論的支柱とされる「姫岡国独資論」は、今の過激派のような誇大妄想的な革命論ではない。「民主主義的言辞による資本主義への忠勤」などレトリックは過激だが、内容は意外に常識的で、トロツキーのスターリン批判と宇野経済学の国家独占資本主義論を現状分析に応用したものだ。本書でも43ページで少し紹介しているが、要点は
  • ソ連はスターリン官僚に簒奪され、もはや「労働者国家」とはいえない
  • 日帝は米帝から一定の独立性をもっており、「対米従属」という規定は成り立たない
  • 国独資は帝国主義(金融独占資本主義)の次の必然的な発展段階で、「構造改革」のような改良主義では変革できない
というもので、独特のジャーゴンを除くと、当時の現状認識としてはそう的外れではない。ここでいう構造改革は、トリアッティや江田三郎などの議会主義路線で、それを批判して暴力革命の必然性を説くという論理だった。もちろん当時の日本にそんな必然性はなく、ブントは自壊したわけだが、すでに1950年代後半に、スターリン的社会主義を否定していたことは重要だ。「社会主義は80年代末に崩壊した」と思っている人が多いが、世界的にも60年代以降、社会主義の知的権威はなくなり、私の学生時代にも民青というのは頭の悪い学生の代名詞だった。

「新左翼」が、スターリン主義に代わる意味のある思想を生み出したわけではないが、それが何かを残したとすれば、現在の社会の枠組みを疑うという精神だろう。それは意外に社会科学にとって大事なことで、些末な「社会工学」モデルを数学的に飾ることが自己目的になっている現在の経済学に比べれば、60年ブントのほうが志は高かったといえよう。