数年前、アメリカの友人の家で小さなパーティがあったとき、エンロン事件が話題になった。「日本ではエンロンってどれぐらい話題になった?」ときくので、私が「ほとんどの日本人は社名も知らないと思うよ」と答えると、彼女は意外な顔をした。当時、すでに有罪判決も出て、事件はほぼ終わっていたので、私は「ただの一過性のスキャンダルがなぜいつまでも話題になるのか」と不可解に思ったものだ。

しかし本書を読むと、エンロン事件はもっと大きな変化をアメリカ資本主義に与えたことがわかる。それは株式が紙切れになった何万人もの株主に、経営者は信用できないという決定的な不信感を植えつけたのだ。『CEOvs取締役会』は、同じ問題を具体的な事件で描いている。エンロン事件のあと、HP、AIG、ボーイングなどでCEOが取締役会にクビにされる事件が続発し、経営者にとって取締役会は、敵対的買収以上の脅威となった。

これは一見、企業内部の争いのようにみえるが、その背景にはエンロンのような事態になると、取締役自身が株主訴訟で財産を没収されるリスクが大きくなってきたという変化がある。さらに1980年代の企業買収の波が収まったあと、CalPERSに代表される年金基金などの機関投資家や、KKRなどの投資ファンドが大きな比率の(あるいはすべての)株式を所有するようになり、CEOをいつでもクビにできるようになった。

前にものべたように、株式会社制度の弱点は、議決権が個人投資家に分散しているため、エージェンシー問題が起こりやすいことだが、こうした新しい資本家(原題)は所有と経営を限りなく一致させ、経営を直接コントロールする強い権力をもちはじめているのだ。これはSupercapitalismでロバート・ライクのいう直接統治の始まり(法人としての企業の終わり)といってもよい。

理論的には、プリンシパルがエージェントになれば理想的なガバナンスが実現しそうなものだが、実態はかなり違う。本書では、市民社会に対応して市民経済の時代が来たと表現しているが、要するに民主主義の長所も欠陥も企業に持ち込まれるということだ。SOX法に代表される過剰規制、感情的でリスク回避的な機関投資家、訴訟を恐れて未知の事業に反対する取締役・・・CEOに求められる資質が、リーダーシップよりもこうした政治的な利害調整の能力になり、アメリカの大企業の競争力が低下するおそれも強い。

幸か不幸か、日本はこうした株主民主主義の行き過ぎを恐れる必要はない。それが日本的な「持ち合い資本主義」よりましなことは確かだが、株主資本主義が理想のガバナンスというわけでもない。今後、企業システムの制度設計を考える際に重要なのは、買収防衛策よりもこうした過剰ガバナンスの弊害だろう。