独立行政法人の整理・合理化をめぐる閣僚折衝は難航しているようだが、けさの新聞に各省庁ごとの回答の一覧が出ている。その中で、あれ?と思ったのは、経産省所管の「他機関と統合」すべき独法のリストに経済産業研究所(RIETI)があり、経産省が「回答保留」していることだ。

RIETIは、もともとは通産研という通産省の一部局で、本流から外れたキャリア官僚の行く「姥捨て山」だった。省庁再編を機にこれを改革し、独立性を高めて霞ヶ関全体に対して政策提言する機関にしようと、当時の青木昌彦所長と松井孝治主任研究官(現・民主党参議院議員)などの努力で2001年に設立されたのがRIETIである。研究員が所内のコンセンサスを得ないと外部に研究発表できない慣例を廃止し、個人の責任で発表するという原則によって、国際的にも高い学問的評価を受けた。

ところが経産省の政策を批判する研究員が出てくると、本省から「黙らせろ」という干渉が行なわれるようになった。特に2003年、私が個人情報保護法に反対する緊急アピールを20名の賛同者とともに発表すると、これが国会で取り上げられ、窮地に陥った経産省は研究所に懲戒処分を求めた。これに対して研究所側は強く反対したが、結局、岡松壯三郎理事長(元通産審議官)・青木所長と私が処分を受けた。このあと、研究員の対外発表はすべて「検閲」を受けるようになり、電子メールも傍受して本省に送られるようになった。

こうした言論弾圧の張本人が、当時の北畑隆生官房長(現・事務次官)である。彼は岡松理事長に圧力をかけ、青木所長を更迭するとともに「青木派」の研究員を追放するよう求めた。結果的に2004年、青木所長は辞任し、同時に彼にまねかれて外部から来た研究員のほとんど(私を含む)が辞めた。この後に残った青木派の研究員も、研究プロジェクトに経費が支給されないなどのいやがらせを受け、ほぼ全員が辞めた。

青木氏の後任には吉富勝氏が着任したが、彼が病に倒れたため、所長不在の状況が続いた。経産省は、いろいろな学者に所長就任を打診したが、RIETIの崩壊は経済学界に広く知れ渡っているため、引き受け手がなく、やっと今年になって現在の藤田昌久所長が兼務の形で就任した。しかし研究所の実権は、本省から出向した理事長と研究部長が握っており、研究員もほとんどが出向になり、昔の姥捨て山に戻ってしまった(「ファカルティ・フェロー」という非常勤研究員で水増ししているが、官僚以外の専任研究員は数人)。

RIETIは当初から、内閣府の経済社会総合研究所(ESRI)、財務省の財務総合政策研究所との重複が問題になっていた。しかし独立行政法人評価委員会の中間評価では、後の二つの研究所が「出向者ばかりで独立性が低い」として評価が低かったのに対し、RIETIは「独立性が高く、霞ヶ関のシンクタンクとしての役割を果たしている」として最高のAランクを得た。だが今では、その実態は残りの二つとほとんど同じで、特にESRIとはどこが違うのかわからない。ESRIには国民経済計算などのマクロ統計をとる重要な業務があるが、RIETIにはそういうコア業務もないので、研究員を整理してESRIに吸収合併するのが妥当だろう。

RIETIは、霞ヶ関を改革する制度設計の「実験」だったが、致命的な失敗は理事長に天下りをすえたことだ。設置法をよく読むと、人事や予算などの最終決定権はすべて理事長が握っており、経産省の省益に反する研究は弾圧できるシステムになっていたのだ。ESRIの初代所長だった浜田宏一氏も「役所の顔色を伺う出向研究員ばかりでは、まともな研究はできない」とあきれて、2年で辞めてしまった。今やRIETIもESRIも実態は役所の下請けなのだから、合併して「研究ゼネコン」とでも改名したらどうか。