8年も雑誌の書評を担当していると、たくさん献本をいただくが、一つ一つお礼できないので、ここでまとめてお礼をさせていただく(*)。ブログでも、いただいたことは書かないし、だからといって取り上げることもないが、本書は原型となる論文を当ブログで2回(9/149/23)紹介した経緯もあるので、本としての評価も書いておく。

結論からいうと、コアになる2本の論文(第4章)のインパクトに比べて、本としては弱い。他の部分が、2本の論文を書くまでの経緯とそれに対する批判への反論という形で書かれていて、どっちも中途半端だ。それよりも著者の日常をきちっと描いて、「32歳、フリーター」のルポルタージュにしたほうがよかったと思う。特に後半は、批判の内容がわからないまま延々と反論が続くので、わかりにくい。「識者」のコメントも全文掲載すべきだった。

全体としての論旨も、2本の論文の域を出ず、身辺雑記と論評と社会への不満が雑然と並んでいて、ブログの日記をそのまま読まされているような感じだ。分量(350ページ)も長すぎ、繰り返しが多い。編集者が手を入れて論旨を整理し、200ページぐらいに圧縮したほうがよかった。

ただ、このとりとめのなさが今日的なのかなという気もする。たまたま「就職氷河期」に当たっただけで、その後の人生が狂ってしまい、敗者復活のできない日本への、やり場のない怒り。それに対して「戦争で自分が死ぬことを考えてないのか」(佐高信)とか「他人の不幸を利用して立場を逆転させようとする性根が汚い」(斉藤貴男)などというボケた反応しかできない「左派」の識者たち。著者も認めるように、そういうダメな大人に対抗する論理を彼が築きえているわけではないが、ポイントはとらえている。

左翼のいう「平和」や「平等」とは、組織労働者の既得権を守ることにすぎない。そして私の記事にボケたコメントをしてきた厚労省の天下り役人にみられるように、行政の視野にもフリーターやニートは入っていない。著者の「戦争が起きて、平和が打破され、社会に流動性が発生することを望む」という欲望は、ドゥルーズ=ガタリの「戦争機械」のように根源的なものだ。本としては未熟だが、2007年の日本の現実の一断面を確かにとらえてはいる。

(*)送り先は、職場(〒103-0028 八重洲1-3-19 上武大学大学院経営管理研究科)にお願いします。