著者の前著『磁力と重力の発見』はベストセラーになり、いくつもの賞をとったが、率直にいって私には何がいいたいのかさっぱりわからず、途中で投げ出した。そういう賞の選考委員の世代にとっては、山本義隆という名前は神話的存在であり、学問の世界から忘れられていた著者が、本格的な学問的業績でカムバックしたことへのご祝儀だったのかもしれない。

それに比べれば、本書は「17世紀の科学革命の源流を16世紀にさぐる」というテーマが明確であり、これは一昨日の記事でも書いた産業革命ともつながる重要な問題だ。Mokyr "The Gifts Of Athena"などの経済史の研究も指摘するように、産業革命が18世紀の西欧に起こったのは、17世紀の科学革命によって実証的な知識が蓄積されたことが大きな要因である(少なくとも出生率よりは説得力がある)。

では、その科学革命はなぜ起きたのか、というのが本書のテーマである。16世紀というと、ルネサンスなどの芸術や人文学についてはよく知られているが、近代科学はまだない時代だと思われている。著者は一次資料を使ってこうした通説をくつがえし、16世紀に起こった文化革命が科学革命の基礎になったとする。その最初のきっかけはグーテンベルクによる印刷革命であり、それによって起こった宗教改革、そしてラテン語から日常語による出版という言語革命である。

全共闘時代のなごりか、革命という言葉が乱発されるが、実際の歴史はそれほど不連続に発展したわけではなく、現在の歴史学では、産業革命も長期にわたって続いた漸進的なイノベーションの積み重ねであり、革命と呼べるかどうかは疑わしいとされている。Clarkの図のように所得が飛躍的に上がるのは、18世紀初めに蒸気機関が発明されてから100年近くたってからである。著者のいう印刷術や日常語の普及はもっとゆるやかな過程であり、革命的な変化とはいえない。

それはともかく、それまで職人の勘と経験で継承されてきた技術的知識(ギリシャ語でいうテクネー)が、日常語で出版されることによって学問的知識(エピステーメー)と融合したのが16世紀の特徴である。特に経験を実験という科学的方法に高めることで、それまでの演繹的推論だけで構築されてきたアリストテレス自然学を帰納的に反証する方法論が確立した。この意味は大きく、たとえば物理学によって砲弾の着弾位置を正確に計算できるようになったことで、欧州の軍事力は飛躍的に強くなり、こうした軍事的な優位が西欧文明が世界を制覇する原因になった。

こうした変化がなぜアジアで起きなかったのか、という問題には著者は直接には答えていないが、科学革命の基礎にはキリスト教的な自然観があったとしている。アジアでは人間を自然の一部と考え、自然の実りをわけてもらう営みとして農業をとらえるのに対して、キリスト教では自然は人間世界の外側の征服すべき対象であり、実験とは自然を「拷問にかけて自白させる」ことだとのべたロバート・ボイルの有名な言葉に代表される攻撃的な自然観が、近代科学を築いたのである。

・・・と要約すると大して斬新な話ではなく、MokyrやShapinなどによって、もっと包括的に経済史や政治史との関係で語られている事実を、一次資料で精密に立証した、というところだろうか。学問的には超一流の業績とはいいがたいが、科学革命の解説書としてはよく書けているし、前著よりはるかに読みやすく、最後まで読める。要点だけなら、第2巻だけ読めばわかる。