フランク・ナイトの"Risk, Uncertainty and Profit"は1921年に出た本だが、最近あらためてファイナンスの世界で注目されているという。これまでの金融技術でヘッジしてきたのは、値動きがランダム・ウォークで正規分布に従うようなリスクだが、ナイトはリスクと不確実性を区別し、経済活動にとって本質的なのは不確実性だとした。

ブラック=ショールズ公式でもわかるように、正規分布になっているようなリスクは、オプションや保険などの金融商品で(理論的には完全に)ヘッジできる。しかしナイトのいう不確実性は、そもそもそういう分布関数の存在しない突発的なショックである。それは誰も予想できないがゆえに社会に大きなインパクトを与え、危機管理を困難にすると同時に、企業の利潤機会ともなる。Nassim Talebが"Black Swan"で指摘したように、こうした不確実性をどう扱うかは、ファイナンスの世界で最大の関心事であるばかりでなく、9・11のような事件に対応する危機管理の問題として、きわめて重要になっている。

本書の対象とする1997年は、ナイトの不確実性が全世界で発生した年だった。最大の不確実性は、いうまでもなくアジア通貨危機である。これは今となっては、大部分は「バブルの崩壊」とか「取り付け騒ぎ」という既知のカテゴリーで説明できる現象だが、発生した当時は――バブル崩壊がつねにそうであるように――誰も予想しなかった。その原因を「クローニー資本主義」だとするメディアにあおられて、IMFは当事国に緊縮財政と「構造改革」を求め、そうしたIMFの行動がさらに資本逃避を呼んで、危機は拡大してしまった。

そしてリスクヘッジが売り物であるはずのヘッジファンドも、この不確実性をリスクと取り違えて、大損害をこうむった。特に劇的だったのは、ショールズとマートンという2人のノーベル賞受賞者を擁したLTCMが、アジア危機の連鎖で値下がりするロシアの国債を買い続けて破綻した事件だ。ブラック=ショールズの想定した正規分布の世界では、ファンダメンタルズをはるかに下回った債券はいずれ買い戻されるが、パニックになった投資家はリスクのない資産に殺到し、全世界的な質への逃避が起きた。これがまさにナイトの不確実性だったのである。

しかしIMFを中心とするワシントン・コンセンサスは、この危機に対して、LTCMへの債権を銀行団が放棄してLTCMを破綻処理するという形でなんとかしのぎ、危機は短期間に収拾された。これに対して日本の不良債権問題は、当初の規模はLTCMぐらいのものだったのに、大蔵省はどうしていいかわからず、その損失を隠すよう銀行に行政指導を行い、大規模な官製粉飾決算が続けられたため、地価の暴落で不良債権は急速にふくらみ、1997年にはコントロール不可能な状態になっていた。

そして97年11月、三洋証券、拓銀、山一証券があいついで破綻し、未曾有の金融危機が発生した。それなのに橋本政権は「これで不良債権は片づいた」という大蔵省の嘘を信用して、11月に財政構造改革法で緊縮財政路線を打ち出し、さらに危機は拡大した。そして翌年、交代した小渕政権が今度は史上最大の公共事業のバラマキを行なったため、日本経済も財政も壊滅状態になったのである。

今度のサブプライム騒動への対応をみると、欧米の当局はナイトの不確実性に対応する危機管理の手法を身につけたように思われる。何が起こったかわからないときは、とりあえず流動性を大量に供給して「失血死」を防いで時間を稼ぎ、その間に問題の元凶を破綻処理するという手法だ。

これに対して、日本の金融当局は何を学んだのだろうか。官僚の行動様式は「前例」を重んじるが、ナイトの不確実性は、定義によって前例のない現象である。こういう問題に、日本の官僚は非常に弱い。でたらめな金融行政によって日本経済をどん底に陥れた大蔵官僚が、牢屋にも入らないで天下りし、大学教授になって「あのときはしょうがなかった」などとうそぶいているのをみると、日本は「失われた15年」から何も学んでいないような気がする。