きのうのICPFセミナーでは、知的財産戦略本部の大塚拓也氏に「知的財産推進計画2007」について話を聞いた。4年前に出た最初の計画については、私もコメントしたことがあるが、今回の計画の発想もそれとほとんど変わらない。

この計画の最大の勘違いは、依然としてマスメディアが集権的にコンテンツを配信する天動説型の情報流通モデルに依拠していることだ。コンテンツ流通を促進するといいながら、その障害になっている著作権の緩和(登録制や報酬請求権化)には「権利者の反対が強い」という。私が「その権利者とは誰か。文芸家協会の会員は2500人だが、ブロガーは800万人以上いる。この著作者の圧倒的多数は、表現の自由を侵害する著作権の強化に反対だ」というと、大塚氏は「そういう視点は、今回の計画には抜けている」と率直に認めた。

計画文書には、しきりに「コンテンツ産業の市場規模はGDPの**%」という類の話が出てくるが、情報の価値を市場価値だけで測るのは間違いだ。通常の財は市場を通さないと流通できないので、その価値は市場価格としてGDP統計に出てくるが、情報はネットワークで「物々交換」されるので、その価値(効用)は必ずしも金銭で表示されない。情報のネットの価値は、効用の積分値からコストを引いた社会的余剰であらわされるが、インターネットによって情報流通コストは劇的に低下したので、GDPベースでは小さくなる。これが「コンピュータはどこにでもあるが、GDP統計にだけはない」というソローの有名な言葉の意味だ。

したがってブログなどで流通しているデジタル情報の価値が金銭で表現できないということは、それに価値がないことを意味しない。むしろ情報流通コストが低くなった分だけ、社会的余剰ははるかに大きくなったと考えられる。今後の情報産業のフロンティアは、こうしてユーザーによって生み出されている膨大な情報の価値を、グーグルのように情報をオープンにすることで取り込み、金銭ベースの価値に変換していくことだろう。

ところが今回の「知財計画」は、こうした世界のビジネスの流れに逆行して、情報を「知的財産権」で囲い込んで放送局やJASRACの既得権を守り、「アニメを輸出してアメリカに追いつけ」と旗を振る。まるで1960年代の輸出振興政策だ。いったい何度おなじ失敗を繰り返したらわかるのだろうか・・・