レッシグが、知的財産権の問題から「チャンネルを変える」と宣言して、話題になっている。私も、彼の気分はわからないでもない。彼を2001年に日本に初めてまねいたのは私だが、それ以来、彼との会話はいつも同じ暗い話ばかりで、状況は悪くなる一方。こんなことをやっていたら学者として終わってしまう、という彼の焦りもわかる。

しかし彼が「腐敗」を新しいテーマにするというのはいただけない。それは民主主義にとって本質的な問題ではないからだ。この種の問題については、経済学で既存の研究がたくさんあるが、その代表であるGrossman-Helpmanの分析によれば、根本的な問題は「1人1票」という普通選挙制度にある。私の1票が選挙結果に影響を与える確率は(田舎の村長選挙でもないかぎり)ゼロだが、投票に行くコストは私が負担するので、投票は非合理的な行動なのである。

したがって政治に影響を与えようとする人々にとっては、投票するよりロビー団体を通じて政治家に働きかけるほうが合理的だ。この場合、レッシグも指摘するように、問題は贈収賄だけではない。合法的な政治献金も、政治家に影響を与えるという意味では同じである。しかし政治資金を規制して「腐敗」をなくしたとしても、民主的意思決定のゆがみはなくならない。

根本的な問題は、政治活動のコストと利益が不均等に分布していることだ。たとえばJASRACにとっては、政治家に圧力をかけて音楽データ配信を制限させて独占を守り、数千万円ぐらい手数料収入を上げることができれば、その利益は政治活動のコストを十分上回る。これに対して数百万人の消費者が二重課金によって数億円損をするとしても、一人当たりの利益は数百円なので、政治活動のコストには見合わない。

このように公共的意思決定が公共財になるため、silent majorityの「ただ乗り」が起こってnoisy minorityの政治的圧力が通りやすくなるという逆説は古くから知られている。これは代議制民主主義の欠陥なので、根本的に是正する方法はない。かといって、ブログやNGOなどの「直接民主主義」が世の中を変えるというのも幻想だ。「反グローバリズム」のデモ隊が政治家より賢明だという保証は何もない。

だから残念ながら、レッシグの「これからの10年」は、学問的に大した成果を生むとは思えない。彼の支持するオバマのような民主党的温情主義は、「大きな政府」をもたらし、かえってゆがみを拡大するだろう。本質的な問題は、彼の師匠であるポズナーもいうように、人々の生活に行政が関与するのをやめさせ、個人間の紛争は当事者どうしで司法的に解決するしくみを整備して、政治の領域を最小化することだ。人生には、政治よりも大事なことがたくさんある。