20世紀は、ある意味では「物理学の世紀」だったといえよう。相対性理論や量子力学などの新理論、そしてそれを利用した原子爆弾や半導体などの新技術によって大きな富が創出されるとともに、その大規模な破壊も行なわれた。

こうした科学技術の驚異的な成功は、世界を操作可能にして人間を万物を創造する神のような位置に置き、人々は無意識のうちに物理学をモデルにして世界を見るようになった。自然科学は、本質的にはすべて応用物理学となり、物理学をまねて対象を要素に還元して数学的に記述する方法論が主流になった。社会科学でも、経済学は自然科学の厳密性を装うため、古典力学をそっくりまねた一般均衡理論をつくった。

物理的世界では、原因と結果の間には1対1の対応関係があるので、現象は本質的に単純だ。時間は可逆で決定論的であり、変化は静的な平衡(均衡)状態に至るまでの過渡的な撹乱にすぎないので、あらかじめ平衡状態を計算によって求めることができれば、工学的にそれを実現できる。

しかし生物は複雑な現象なので、時間は不可逆で、決定論的な予測は不可能だ。どういう過程で変化するかという経路が意味をもち、生物は動的平衡として記述される。本書で紹介されるシェーンハイマーの実験は印象的だ。ネズミが蛋白質を食べて排出するとき、その蛋白質の分子を追跡すると、わずか3日間で半分以上が細胞に取り込まれていることがわかった。ネズミの体重は変わらないので、取り込まれたのと同量の古い蛋白質が排出され、急速に代謝が行なわれていることがわかる。

人間の体の分子も1年間ですべて入れ替わるので、1年前の私と現在の私は、物理的には同一人物ではない。私のアイデンティティは「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明の述べたような流れの同一性にあるのだ。Economist誌によれば、21世紀は「生物学の世紀」になるそうだが、それは単に素粒子をDNAで置き換えるのではなく、世界を物理的な同一性を基準にしてとらえる世界観そのものを変えることになろう。