951af4e0.jpg世の中には、ドーキンスが「利己的遺伝子理論」を創始した偉大な生物学者だと思っている人も多いようだが、彼はハミルトンの血縁淘汰理論をわかりやすく解説したサイエンス・ライターにすぎない。大学でのポジションも、彼のファンがオクスフォード大学につくった「科学の普及」についての寄附講座の教授として得たものだ。

原著は、彼が宗教を批判したもので、国民の90%以上が神の存在を信じているアメリカでは大きな話題になり、発売から半年以上たった今も、Amazon.comでベストセラー30位に入っている。しかし、もともと宗教に興味のない日本人には、ニーチェから100年以上たって「神は存在しない」って力説されてもなぁ・・・という感じだろう。

本質的な問題は、神がそれほど無意味なものなら、なぜ宗教が世界に普遍的に存在するのか、ということだ。進化心理学で宗教や道徳の起源として重視されるのは、群淘汰によって形成されたと考えられる集団維持の感情だが、著者は群淘汰が「原理的に起こりうる」ことは認めながら、曖昧な理由でそれを「重視しない」という。このため本書の説明は、利他的な行動は「利己的な遺伝子」で説明できるという彼のこれまでの主張の繰り返しだ。

無神論や宗教批判は近代初頭からあるが、本書は宗教批判としては幼稚なものだ。ここにはヴォルテールもフォイエルバッハもニーチェも登場せず、宗教の起源を論じたデュルケームもウェーバーも踏まえていない。そもそも(呪術や道徳と区別される)宗教という概念が西欧文明圏に固有のものだということにも、著者は気づいていない。

宗教と科学の境界は、著者が信じるほど自明なものではない。アウシュヴィッツで600万人を殺したのは、「優生学」という名の科学だった。無神論を掲げる「科学的社会主義」によって「粛清」や「大躍進」などで殺された人の数は、二つの大戦の戦死者を超え、過去のすべての宗教戦争の犠牲者を上回る。アルカイダがイスラム教の名において殺した人数より、米軍がイラクで民主主義と人権の名において殺した人数のほうが多い。神を否定して科学を普及すれば世界に平和が訪れると信じる著者の主張こそ、自民族中心主義という宗教なのだ。