安倍首相が靖国神社に供物を奉納したという話が、また騒ぎを呼んでいる。しかし、そもそも靖国神社とは一般に信じられているように、国家のために戦死した人々をまつる神社ではないのだ、と本書はいう。

靖国神社の始まりは、1862年に行なわれた「招魂祭」で、これは安政の大獄などで徳川幕府に殺された勤王の志士を慰霊したものだ。それが明治維新によって、彼らが「官軍」となってから制度化されたのが招魂社であり、西南戦争の後これが靖国神社となった。したがって明治政府と戦った西郷隆盛は、靖国にはまつられていない。

要するに靖国神社は、天皇家のために戦死したテロリストを鎮魂する神社だったのである。それが国家の神社になったのは、たまたま天皇家が徳川家との内戦に勝ったからにすぎない。まさに「勝てば官軍」であり、歴史はつねに勝者によって書かれるものだ。「東京裁判史観」を批判する人々は「靖国史観」も批判すべきだ、と著者は論じる。

新撰組が保守反動で、坂本龍馬がヒーローになるのは、勝者のご都合主義である。実際には、当時の法を守ったのは新撰組であり、東条英機は坂本より近藤勇に近い。両者をごちゃごちゃにまつる靖国は奇妙な神社であり、しかもそれが第2次大戦では「賊軍」になったことで、靖国史観は決定的に混乱した。そのため、いまだに遊就館では「軍事的には負けたが、あの戦争は正しかったのだ」と主張するパンフレットが配られている。

靖国神社は「国家神道」によってできたものではない。吉田松陰の提唱した討幕運動は、祭政一致の「国体」を復興させる儒教的な革命だった。このように既成秩序を批判するために「本来の姿への復古」というスローガンを掲げ、宗教と政治を「垂直統合」して戦意を高揚させる教義は、革命運動によくあるが、それが政権をとった後も続くと、現在のイスラムのようにきわめて硬直的な国家を生み出す。

靖国神社の背景にこうした特異な歴史観があるとすれば、著者もいうように、首相が参拝するかどうかとか、A級戦犯を分祀すべきかどうかといったことは大した問題ではない。それは本来、天皇家の私兵の神社であり、国家の機関ではないからだ。しかし「テロリスト神社」に首相が贈り物をするというのは、かなり奇妙な話ではある。