安倍首相が、日米首脳会談で慰安婦問題について「謝罪の意」を表明した。ブッシュ大統領はこれを受け入れ、問題はいったん収まったようにみえる。政治的な判断としては、首脳会談で「狭義の強制はなかった」などと主張したら大混乱になることは目に見えているので、これはそれなりに合理的な判断だろう。しかし当ブログへのコメントでは、「無節操だ」「筋が通らない」といった批判が圧倒的だ。

このように合理性と一貫性が一致しないケースは多い。たとえば人質事件では、身代金を払って人質を解放させることが、事後的に合理的(パレート効率的)だが、そういう行動は社会的に許されない。殺人事件の被害者の遺族が、容疑者に軽い刑の判決が出たとき、「死刑にしてほしかった」とコメントすることがよくあるが、彼らもいうように死刑にしても被害者は返ってこない。それなのに人々が不合理な因果応報を望むのはなぜだろうか。

これはゲーム理論で、コミットメントの問題としてよく知られている。一般に刑罰は、処罰する側にとっても受ける側にとってもコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ。しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると犯罪が横行するので、たとえ不合理でも処罰しなければならない。つまり秩序を維持するためには、不合理な行動へのコミットメントが必要なのだ。

このようなコミットメントを作り出すメカニズムとしていろいろな方法が知られているが、代表的なのは法律だ。どのような情状があろうと、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰され、個別に交渉して(たとえば金をとって)釈放することはありえない。そういうことは「正義にもとる」として許されないからだ。したがって究極の問題は、人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのかということだ。

これについても、進化論な説明が可能である。進化が単純な個体レベルの生存競争だとすれば、論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人(homo oeconomicus)が勝ち残るはずであり、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない。しかし、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう。

合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたないから、報復はしない。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、因果応報を好む感情が進化したと考えられる。

行動経済学が明らかにしたように、人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。それがどこまで遺伝的なもので、どこから文化的な「ミーム」によるものかについては、いろいろな実証研究が行なわれているが、感情はフランクのいうように、集団を維持するための「適応プログラム」の一種なのである。