行政書士を「街の法律家」と紹介するポスターに、日弁連が異を唱えている。「法律家というのは、法律事務についての代理権を持つ弁護士らに該当する表現」だという。彼らは六法全書は読んでも、辞書は読んだことがないらしい。『広辞苑』によれば、法律家とは「法律の専門家」のことで、弁護士だけをさすわけではない。行政書士も、法律を知らなければできないのだから、立派な法律家だ。

こういういやがらせの背景には、いわゆる「非弁活動」の規制緩和に対する日弁連の警戒感があるのだろう。しかし実際の弁護士の仕事には、企業の顧問や示談の調停などの法廷以外の業務が多いので、特に手続き的な仕事は行政書士や司法書士などにまかせ、弁護士は法廷の仕事に専念したほうが合理的だ。さらにいえば、フリードマンが"Capitalism and Freedom"で問うたように、弁護士免許って必要なんだろうか?資格認定で十分じゃないのか?

規制には、登録、認定、免許の3種類がある。登録は届け出るだけでよいが、認定には何らかの資格試験が必要であり、免許の場合には無免許営業が禁止される。このうち資格認定には、合理的な理由がある。代理人の能力がわからないと、悪質な弁護士によって被害をこうむることがあるから、弁護士という資格によって能力を示すことは意味がある。

しかし弁護士の資格をもたない人が訴訟の代理人を行なうことを禁止する免許制には、合理的な理由がない。たとえば簡単な訴訟について、司法書士が弁護士の半分の手数料で訴訟を引き受け、依頼人は彼が弁護士資格をもっていないことを承知の上で依頼すればよいのである。その能力は弁護士より低いかもしれないが、それは依頼人も承知の上だ。そういうリスクをきらう人は、正規の弁護士に依頼すればよい。

ジャンク訴訟が増えて裁判所が混雑するというぐらいの問題はあるかもしれないが、それもADRを増やして裁判官の資格を実質的に緩和すればよい。少なくとも、日弁連の要求するように供給を絞ることによって解決する問題はない――彼らの独占的な手数料設定が崩される問題以外は。

だいたい日弁連って何なのか。全弁護士を代表する団体というのも奇妙だが、それが政治的な問題について声明を発表するのもおかしな話だ。すべての弁護士が、ああいう左翼的な意見をもっているわけではないだろうに。個人情報保護法のときも、「自己情報主権」なるスローガンを掲げて、情報流通の規制強化を先頭に立って要求したのは日弁連だった。その結果が今の個人情報地獄だ。

ロースクールを濫造したものの、その卒業生の司法試験合格率は半分以下で、修士号をもってフリーターになる「ロースクール難民」が出ている。修士号を取得した学生には全員「準弁護士」のような資格を与え、法廷以外の弁護士業務を開放してはどうか。代理人として優秀かどうかは、ペーパーテストで決めるよりも、自由な競争の中で依頼人が選んだほうが確かである。フリードマンは、現代でも新しすぎるのかもしれない。