「あるある」について、少し補足しておく。民放の番組がくだらない原因は、視聴者がくだらない番組を求めるからだが、もう一つの原因は制作能力の低さにある。私も昔、NHKをやめたあと、民放の仕事をしたことがあるが、民放の(というかフリーの)ディレクターの原稿が、てにをはもできていないことに驚いた。発想も構成も幼稚で、事実関係の裏も取れない。NHKでいえば、地方局にいる3年生ぐらいの水準だ。

これは前にも書いたように、民放が番組を丸投げし、下請けプロダクションの雇用が流動化しているため、ノウハウが蓄積しないことが原因だと思う。日経ITproに松原友夫氏の「日本のソフトウェア産業、衰退の真因」という記事が出ているが、これを「コンテンツ」と入れ替えても、ほとんど同じことがいえる。

下請けプロダクションも、フリーディレクターの人材派遣業にすぎない。彼らは月単位で入れ替わるので、系統的な教育もできない。それでもテレビの仕事はおもしろいので、ただ働き同然の賃金で徹夜の連続になって、体をこわしてやめても、代わりはいくらでもいる。

「顧客が要求仕様を書けないので、作っては直しを際限なく繰り返す」のも同じだ。世界の(日本以外の)テレビ局では、ドキュメンタリーはまずナレーションを書き、その秒数にあわせて映像をはめこむ。これだと音声処理と映像編集は並行してできるので、作業は1回で終わる。ところが日本のテレビ局は、まず映像をつないで、それに音声をあてて試写し、それを見て映像を手直しする・・・といった作業を何回も繰り返す(これはNHKも民放も同じ)。

NHKスペシャルの場合は、さらに部長試写や局次長試写などがあるので、ディレクターは同じ番組を(尺を変えて)50回ぐらい見る。仕事が終わると、しばらくはテレビを見ただけで気分が悪くなるほどだ。さらに「あるある」のように下請け・孫請けがからんでいると、社外のいろいろな人が口を出すので、だれに責任があるのかわからなくなる。結局は、孫請けの社員(首なしインタビューをしていた)がすべての責任を押しつけられるわけだ。

こういう非効率な制作システムは、製造業の「すり合わせ」型の工程をソフトウェアに持ち込んだためだと思う。工程のモジュール化ができていないため、しょっちゅう全スタッフ(Nスペの場合20人ぐらい)が集まらないと意思決定ができない。この結果、日本のテレビ番組の制作費は、世界でも最高水準で、アメリカの2倍から3倍といわれる。ソフトウェア業界では、インドが合理的な工程管理で日本のソフトウェア業界を脅かしているそうだが、コンテンツでも日本の業界は(アニメやゲームを除いて)国際競争力がない。

根本的な原因も、松原氏の指摘するように現場が自立できていないことだ。実際に取材・制作する孫請けに内容の決定権がないので、「納豆がダイエットにきくという番組をつくれ」といわれれば「できません」とはいえない。コンテンツに複数のチャンネルがあり、プロデューサーにすべての権限が集中しているハリウッド・システムなら、著作権も含めてすべて制作側がコントロールし、品質管理もできるが、日本ではチャンネルを地上波局が独占しているため、1億円の制作費のうち、現場に落ちるのは860万円といった搾取が発生する。これではプロダクションの経営も成り立たないし、まともな人材も集まらない。

インフラ独占によって供給のボトルネックが生じているとき、供給側が決定権や価格支配力をもつのは、経済学の常識である。プロダクションの悲惨な現状の背景には、電波利権によるインフラ独占があるのだ。クリエイターが自立し、多様な番組の質的な競争が起こるために必要なのは、地上波局によるインフラ独占の打破だ。私が「競争が必要だ」といったのは、この意味である。