Economist誌の前編集長(元東京支局長)とジャパン・ウォッチャーとして知られる証券アナリストの対談。内容は常識的だが、これが日本の常識がどれぐらい違うかをみるために、日本経団連の「御手洗ビジョン」と比べてみた。

今後の大きな変化がグローバル化と人口減少だという点では、両者の見立ては一致しているが、それに対する考え方は対照的だ。財界が中国やインドの追い上げを強調し、研究開発に政府から補助金をもらって製造業の競争力を強化しようとするのに対して、外人2人はもう「額に汗して働く」時代ではないと断じ、中国やインドとの国際分業を進めるべきだとする。今後の成長産業はサービス業であり、日本の経済力はドコモやイオンがどこまでグローバルなプレイヤーになれるかで決まる。

政治との関係では、「御手洗ビジョン」が行財政改革を強調し、消費税の引き上げを提言するのに対して、外人は財政再建なんてどうでもいいと一蹴する。90年代のような経済状況では財政の維持可能性は深刻な問題だったが、成長軌道に乗れば政府債務は大した問題ではない。大事なのは成長力を高めることであって、消費税の引き上げなんて愚かな政策だ。それより行政の問題は、「官」の力が強すぎて新しいチャレンジャーを妨害していることだ。

そして最大の違いは、財界が拒絶する資本市場のグローバル化こそ日本経済の最大の課題であり、チャンスだと外人が強調することだ。個人金融資産が1500兆円を超えたのに、日本人の金の使い方は救いがたく下手だ。特に企業が貯蓄主体となり、資本が浪費されている。低収益の中規模企業が国内市場を分割する状況を打破し、アルセロール=ミタルのようなグローバル企業が日本からもっと出てこなければならない。それには外資を導入し、企業買収・合併によって産業の大幅な再編を行なう必要がある。東京の役割は、こうした資本市場を活性化してアジアの金融センターになることだ。

2人ともイギリス人なので、金融立国で成功したイギリスをモデルにしすぎるきらいもあるが、これが世界のエコノミストの常識的な見方だろう。しかし外資を「ハゲタカ」ときらい、財界が企業買収を妨害する法改正を陳情し、投資ファンドを「額に汗して働く人の味方」が逮捕する日本では、彼らの常識はとても非常識に見える。