わかりきった「生産性」論争はもう終結したと思ったのだが、4日間で9万ページビューも集まり、200以上の(大部分は混乱した)コメントがついて、「限界原理ってわかりづらい」とか「限界生産性vs平均生産性って何?」とかいうTBもたくさんついた。私の説明がまずかったのかもしれないので、おまけとして超簡単に教科書的な解説をしておこう。

限界原理というのは、ちっともわかりづらいものではない。むしろ、わかりやすすぎることが怪しいぐらいの話だ。前の記事の説明を繰り返すと、喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に売り上げが800円以上増えるとき、店主はウェイトレスを雇うが、売り上げ増がそれ以下なら雇わない。それだけのことだ(もうちょっとちゃんとした解説はここ)。

しかし、世間の常識と違うことが一点だけある。それは、問題は平均値ではなく、個別の店の売り上げ増だということである。世間の賃金相場がいかに高くても、あるいは喫茶店の売り上げがいくら多くても、ウェイトレスを増やすことで彼女の賃金以上に売り上げが増えなければ損するから、限界生産性を上回る賃金を払い続けることはできないのである。これが成り立つのに必要な条件は、前にも書いたようにいろいろあるが、重要なのは完全競争だということ。

問題は、日本のウェイトレスの時給がなぜ中国より高いかということだが、これも答は同じだ。両方の限界生産性が違うのだ。ウェイトレスの限界生産性は、彼女を雇ったことによる売り上げ増であらわされる。それが中国より高いのは、日本人の所得が高いとか土地が高いなど、いろいろな理由があるが、それはすべてコーヒーの価格に(したがって限界生産性に)織り込まれているのである。その価格は需要と供給で決まり、「平均生産性」とは何の関係もない。ドトールのように、生産性が上がるとコーヒーの価格が下がる場合もある。

ここで、ちょっとむずかしい話が出てくる。これまでの記事では、為替レートはPPP(購買力平価の均等化)によって無視してもよいと考えてきたが、この点がちゃんと伝わっていないようだ。PPPとは、たとえば日本円で1台のPCを買える金額を人民元に交換すると、中国で同じPCが買えるように為替レートが決まるという原理だ。今日の人民元は15.6円。つまり日本で15万円のPCが中国で1万元で買えるということだが、これはほぼ実際の価格に近い。

PCのように競争が完全に機能し、為替レートが自由に変動すれば、所得水準などに依存する購買力の違いは、為替レートに反映される。かつて1ドル=360円だったころ、日本の自動車産業はアメリカの半分近い価格で車を輸出した。これが変動為替相場になると、円は日本車がアメリカ車と同じ価格になる(1ドル=180円)まで強くなる。このとき国内のウェイトレスの生産性は何も上がっていないが、彼女が海外旅行で使う円の価値は2倍になるわけだ。

しかし貿易財のPPPで均衡が成立しているのは一部の製造業だけで、あとの産業は円が強くなると相対的に(ドル建ての)コストが高くなるので、新規参入が起こり、価格が均等化するはずだ。サービス業でも、外食産業のように競争的な部門では、ビッグマック指数としてEconomist誌が表示しているように、PPPがかなり成立している。

おわかりだろうか。変動相場制のもとでは、国内・国際競争さえあれば、為替レートで調整した(ドル建ての)コーヒーの価格は全世界で均等化し、所得とも「平均生産性」とも関係ないのだ。ウェイトレスの時給はコーヒーの価格と均等化するから、競争があれば、日本と中国で均等化するはずだ(*)。しかし現実には、非貿易財やサービスの価格は、どこの国でもPPPと乖離している。ここから先は、限界生産性からの乖離で説明するしかない。規制や労働移動の硬直性などによって不完全競争(独占的な効果)が生じ、限界生産性を上回るレント(超過利潤)が生まれるのである。

またウェイトレスの賃金をプログラマと横並びで上げるといった生産性を無視した賃金決定が行われると、PPPから乖離する。つまり現実の賃金は限界原理で決まっていないが、それは不完全競争によるものなのである。そして現代の日本では、グローバル化などの圧力で、こうした不完全性が少なくなっているので、部門ごとの格差が顕在化しているわけだ。

これ以上わかりやすく解説することは、私の能力を超えるので、あとは教科書を読んでください。たとえば『マンキュー経済学』のPPPの項には、散髪屋を例にとって、この記事とほとんど同じ解説がある。

(*)実際には、日本と中国の賃金の差は、見かけほど大きくない。中国の賃金は日本の1/30だが、労働生産性を勘案した単位労働コストでみると、80%程度に縮まる。この記事でいう競争の不完全性というのは、この20%の差だから、意外に競争原理は機能しているわけだ。