山形浩生氏との訳のわからない「生産性論争」も、ようやく終結したようだ。前の記事には「学部生向けの経済学Iの内容がここまでも世間では理解されていないということに衝撃を受けています」という経済学者のコメントが来たが、私も同感だ。経済学ってつくづくマイナーな学問なんだな・・・

ただ、山形氏は自分でもいうようにそう頭が悪いわけではないから、これが世間の庶民の標準的なレベルなのだろう。「格差国会」で議論している国会議員(特に民主党)にも、限界原理どころか需要と供給もわかってない人が多い。当ブログは民主党の議員も読んでいるようだから、格差について議論する際のポイントを簡単にまとめておく。

山形氏が誤解しているように、賃金が限界生産性と関係なく「世間相場」(平均生産性?)で決まると思っている人は多い。現実にも、かつては「春闘相場」で横並びの賃金決定が行われてきた。これは、実質的には超効率的な輸出産業から非効率的なサービス業への「補助金」である。

しかし、このような限界生産性から乖離した賃金決定は、各部門の生産性の格差が拡大すると維持できない。生産性の上がらないサービス業で製造業並みの賃上げを続けていたら、経営は破綻するからだ(*)。他方、労働組合は既得権としての横並び賃金を守ろうとするから、経営者はパートなどの非組合員を増やすことによって実質的な賃下げを行う。民主党の支持基盤である労組が没落した最大の原因は、彼らの「談合」的な賃金決定が時代の変化に適応できなかったことなのだ。民主党が主張しているような規制を行えば、労組の組織率がさらに落ち、自分の首を絞める結果になるだろう。

こうした競争圧力は、今後さらに強まると予想される。その最大の原因は、中国である。前にもふれたように、中国からの輸入やアウトソーシングの増加によって要素価格が均等化し、付加価値の低いブルーカラーは中国の労働者と競争することになる。これまで生産性の低い部門に再分配されていた輸出産業の超過利潤は低下するから、多くの部門で「裸の生産性」が露出し、単純労働者の賃金は中国に引き寄せられて、格差はさらに拡大するだろう。

では日本政府はどうすべきだろうか。前に書いたように、賃金規制は失業率を高めるだけだ。保護貿易によって国内市場を競争から遮断することはできるが、成長率が低下するばかりでなく、保護された産業の競争力が衰えて、長期的にはかえって危険である。知識集約型の製造業や金融を含む広義の情報産業などの付加価値の高い産業に特化して、日本の比較優位を生かすしかない。

私は日本人の情報リテラシー(比較優位)は高いと思うが、情報産業での日本企業の競争力は高くない。その大きな原因は、生産性のきわめて高いプログラマなどの賃金も、製造業的な横並びになっているためだ。ブログでよく出てくる、プログラマの過酷な労働条件と安い賃金は、彼らの生産性に見合った賃金が支払われないため、供給が慢性的に不足することから生じるのである。こうした部門では、労働時間で賃金を支払って年功賃金で会社にしばりつけるといった在来の賃金体系をやめ、優秀なプログラマには契約ベースで管理職より高い賃金を払う必要がある。

要するに、横並びの賃金決定が、一方では非正規労働者や失業者を増やし、他方ではプログラマの悲惨な生活をもたらしているのだ。日本経済が中国との競争で生き残るためには、むしろ各部門の限界生産性の差に対応して正社員の賃金格差がもっと拡大する必要がある。効率の高いIT部門の賃金を高めることによって人的資本の移行を促進し、TFPを引き上げることが「成長戦略」のポイントだ。その結果、所得が高くなる人は問題ではないので、生存最低限度より低くなる人にセーフティ・ネットを提供することが行政の仕事である。

「市場原理主義」を否定して、春闘時代の「古きよき日本」に戻そうとする民主党の主張は退嬰的であり、『国家の品格』に涙する老人の支持は得られても、若い世代の支持は得られないだろう。労働者を守ることと、労組の既得権を守ることは違う。いくら所得を再分配しようとしても、国際競争に敗れて収益が低下したら分配の原資がなくなる。よくも悪くも、昔に戻ることはもう不可能であり、市場原理を認めた上で前進するしかないのである。

(*)あるいは収益を維持するためには、賃上げにあわせてサービス価格を生産性の上昇以上に引き上げなければならない。この結果、インフレが生じるというのがBalassa-Samuelson効果である。しかし価格・賃金が限界生産性と乖離すると、新規参入によって利益を得られるから、最終的には限界生産性に近づく。

追記:小飼弾氏からのTBは正しい。限界生産性原理が成立するのは、生産関数が線形分離可能な場合に限られ、「チーム生産の外部性」がある場合には、限界生産性に等しい賃金を支払うことはできない(Alchian-Demsetz)。「この会社がカンボジアにあったとしたら・・・」というのは、前にもふれたTFPの問題である。こういう外部性があると賃金決定は複雑になり、一意的な最適解はない。ここで論じたのは、単純化した話である。

追記2:昨日の記事では、山形氏は反論もできず、「分裂勘違い君劇場」に助けを求めているが、この話は彼がデカ文字で強調した「賃金水準は、[労働者の]絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」という命題を証明していない。だいたい平均生産性だけで賃金が決まるのなら、プログラマとウェイトレスの賃金の差は何で決まるのかね。