山形浩生氏から反論(らしきもの)が来た。例によって冗漫でわかりにくいが、彼のいいたいのは要するにこういうことらしい:
さて国は国民経済統計を集計して、総生産を発表していますわな。労働者人口もそこそこの精度で発表しています。総生産を労働者の数で割ったら、全国でならした平均生産性は計算できるじゃありませんか。一人頭のGDPってやつですわな。そしてもちろん、国民総生産は国民総所得でもある、なんてことは言うまでもありませんよねえ。

つまりまさに平均的な生産性が平均的な所得を決めてるんじゃありませんか。そしてそれは池田説でも賃金の絶対水準を決めるんでしょ。どこに問題があるのかなあ。
ここで彼は「平均生産性」と「平均所得」が存在することを示している。それは当たり前だ。しかし両者が存在することが、どうして前者が後者を決めることになるのだろうか。たとえば同じように全国民の平均身長も存在するが、平均生産性は平均身長を決めるのだろうか?

経済の各部門の限界生産性は異なり、それによって賃金も異なる。その集計として平均は算出できるが、それは因果関係を意味しない。テストの平均点が山形君の成績を決めるわけではないのと同じだ。私は「日本の所得水準が高いぶんだけ、絶対価格は中国よりも高くなる」と(わざと曖昧に)書いたが、山形氏は見事にこれに引っかかって「じゃあ池田くんの言う『所得水準』はどうよ? 所得水準が絶対価格を決めるメカニズムはあるんだよねえ?」という。

残念でした。価格は、どんな教科書にも書いてあるように、需要と供給で決まるのだ。その需要を決める要因の一つが所得だが、所得水準が上がれば価格が自動的に上がるメカニズムがあるわけではない(PCのように競争的な製品の価格は所得と無関係に下がり続けている)。ましてウェイトレスの所得と「平均生産性」には、何の関係もない。製造業の生産性が上がっても、たとえばジャズ喫茶の限界生産性が下がれば、そのウェイトレスの時給は下がるのである。

話はこれでおしまいだが、彼が何を誤解しているのかを推測してみよう。どうもクルーグマンやソローが出てくるところをみると、彼のいう「平均生産性」とは、私が前に何度か書いたTFP(全要素生産性)のことをいおうとしているのではないか。中国の労働者が日本人の1割の賃金で働いたとしても、それは脅威ではない。なぜなら、労働生産性が違うからだ。彼らには、ラジカセはつくれてもPS3はつくれない。それは日本人がよく働くからではなく、過去の資本蓄積や共有知識などのインフラの効率(TFP)が違うからだ。これが日本のサービス業の価格が中国より高い一つの原因である。

しかしTFPは「平均生産性」ではないし、それが賃金を決めるわけでもない。TFP上昇の影響は部門ごとに大きく違い、たとえば半導体産業ではTFPの影響が大きいが、喫茶店では影響はほとんどない。したがって競争が激化してTFPが上昇する一方、賃金が各部門の限界生産性に近づくと、ウェイトレスのような単純労働者の時給は下がるかもしれない。いま問題なのは、このように国際競争やIT化によって平均賃金は上がっても賃金格差が開いていることだ。山形氏が長々と展開する「平均」談義は、格差社会について何も言うことができないのである。

追記:ここまで書いてから、前の記事に研究者からコメントがついた。「山形氏は池田氏の批判を骨子を理解していないのでは? 池田氏の批判は、要するに、『賃金水準はその職固有の限界生産性によって決まるのであり、すべての職の平均的な生産性によって決まるのではない』と言っているのであり、全然内容が違う気がしますが。山形氏の理論では、職業間の賃金格差の説明が付かないですね。」その通りなんですよ。今度はわかるかな?

追記2:念のためいうと、賃金が限界生産性と均等化するというのは、完全競争を前提にした話で、サービス業は参入障壁や規制などに守られているため、限界生産性を上回る「レント」が生じることが多い。TBでも指摘するように、生産性の高い(競争的な)製造業よりも生産性最低の(規制に守られた)銀行の賃金のほうが高いのである。

追記3:他人の誤解を理解するのはむずかしいが、やっとわかった(ような気がする)。山形氏はこう書く:「はやい話が、日本経済に一人しかいなかったら、その人の限界生産性=平均生産性=稼ぎ=消費で、何のちがいもないでしょう。」要するに、彼は日本経済に一人しかいない「パテ・モデル」で考えているわけだ。

しかし、プログラマとウェイトレスはどこへ行ったんだろう? 最初は、ウェイトレスの時給が製造業のハイテク労働者の生産性で決まるという(通念と違う)話をしたはずが、辻褄をあわせているうちに、「生産性の高い人は賃金も高い」という常識的な話にすりかわってしまった。パテ・モデルでは、職種間の賃金の差を説明することはできない。少なくとも2部門を考えた場合、「平均生産性」は各部門で賃金決定が行われた結果の集計として決まるのであって、その逆ではない。