高木さんの棒グラフの話をからかったら、意外にまじめな反論が来て驚いた。テレビが中立・公正な報道をしている(はずだ)と信じている人がまだ多いようだ。日本のメディアもまだ捨てたものではないが、これは民主主義の健全な発展のためにはよくない。メディアは本質的に物事を歪めて伝えるものだからである。棒グラフの話も、その一例としては意味がある。

まず認識しなければならないのは、これまで何度も書いたように、ニュース価値は絶対的な重要性ではなく限界的な珍しさで決まるという事実である。経済学の教科書の最初に出てくるように、ダイヤモンドの価格が水よりはるかに高いのは、それが水よりも重要だからではなく、限界的な価値(稀少性)が高いからだ。同じように、人が犬に噛まれる事件よりも犬が人に噛まれる事件のほうが、重要性は低いがニュース価値は高いのである。

時系列でも同じだ。普通の人が事故死する原因として圧倒的に重要なのは交通事故だが、これは減っているのであまりニュースにはならない。ニュースになるのは、飲酒運転による死亡事故が増えた、といった変化だけだ。要するに、問題の総量(積分値)ではなく変化率(微分係数)がニュース価値なのだ。

これはメディアとして合理的な基準である。交通死亡事故をすべて取り上げていたら、紙面はそれだけで埋まってしまう。メディアは読者に読んでもらわなければならないのだから、その興味を最大化するようにニュースを順位づけするのは合理的だ。行動経済学の言葉でいうと、メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。

しかしメディアがニュースを読者に見せるときは、「この話は重要ではないが珍しいから取り上げた」というわけにはいかないので、あたかも客観的に重要な情報であるかのように見せる。飲酒運転による死亡事故が10年間で4割減ったのに、昨年1.9%だけ増えた部分だけを拡大した棒グラフ(折れ線グラフでも同じこと)を描いて、いかにも激増しているように見せる。子供の自殺も1970年代の半分に減っているのに、2000年以降の統計だけを見せる。

これは、前にも書いた「関心の効率的配分」を考える経済学の事例研究としておもしろい。通常のモノの経済では、稀少性で価格が決まっても問題はない。水道料金が低くても、水道水はつねに存在しているからだ。しかし情報の世界では、情報価値が低い(アクセスされない)情報は存在しないのと同じだ。地球温暖化よりはるかに重要な(しかし地味な)感染症には、温暖化の数分の一の予算しかつかない。大気汚染としてもっとも重要なタバコを放置したまま、リスクがゼロに等しいBSEに大騒ぎする(磯崎さんの記事参照)。

だから「あるある」の問題は特殊なスキャンダルではなく、メディアの本来もっている合理的バイアスが極端な形で出てきたにすぎない。存在しない実験データを捏造したというのは、わかりやすいのでたたかれるが、もっと微妙な自殺や交通事故をめぐる誇張された報道は気づかれず、それをもとにして教育再生会議が子供の自殺についての「緊急提言」をしたり、酒気帯び運転だけで公務員が懲戒免職になったりする。

人々がすべての情報を片寄りなく認識することが不可能である以上、なんらかのバイアスは避けられない。問題はメディアがバイアスをもっていることではなく、情報が少数の媒体に独占され、十分多様なバイアスがないことである。だから必要なのは、政府が介入して監督することではなく、情報のチャンネルを多様化し、相互にチェックすることによってバイアスを中立化することだ。

要するに、市場メカニズムでは情報を効率的に配分できないのである。だからマスメディアのように関心を最大化する必要のないブログなどの非営利のメディアが、バイアスを中立化する上で重要な役割を果たしうる。2ちゃんねるにも「毒をもって毒を制する」効果はあるかもしれない。読むほうが情報を信用してないという点では、2ちゃんねらーのほうが納豆を買いに走った主婦よりもはるかにリテラシーが高い。