一昨日の記事にはすごい反響があり、昨日は当ブログで過去最高の2万アクセスを記録したので、少し学問的な付録を付け足しておく。

「自由度」とは何のことかわかりにくいというコメントがあったが、この元ネタは実はハイエクである。彼は、個人が効用を最大化するという新古典派経済学の功利主義を斥け、「パレート最適」のような福祉最大化を政策目標とすることも否定した。彼が法秩序の原則として掲げたのは、「任意のメンバーがその目的を達成するチャンスをできるかぎり高めること」である(cf. Gray)。その結果として所得が最大化されることは望ましいが、それは副産物にすぎない。これは効用を最大化する自由度(オプション価値)を最大化する「メタ功利主義」ともいうべきものだ。

ハイエクは社会で特定の目的を実現しようとする「ユートピア社会工学」を否定したが、制度(ルール)の設計を否定したわけではない。重要なのは、人為的に決めた目的に人々を従わせるテシス(実定法的秩序)ではなく、伝統の中から自然に進化するノモス(自生的秩序)である。それはコモンローのように多くの紛争処理の積み重ねの中から自然に生まれてくる常識のようなものだが、ハイエクは伝統を絶対化するのではなく、自由を基準にして制度を評価し、自由を阻害する法は廃止すべきだとする。この意味で、彼はみずからいうように保守主義者ではない。

資本主義が成功したのは、資源を効率的に配分したからではない。計画的に資本を蓄積するという点では社会主義のほうがすぐれており、1940年代まではソ連の成長率は西側よりも高かった。それが失敗したのは、資本蓄積が飽和し、技術革新(TFP)が成長率を決めるもっとも重要な要因となった60年代からである。つまり資本主義は、与えられた目的を最大化することではなく、目的をもたない自生的秩序であることによって柔軟な進化を実現したのである。

この考え方は、ビジネスにも応用できる。普通の会社で情報を生産するのは労働であり、この場合の目的は所得だから、生産を高めるには所得を高めればよい。ところがウェブの参加型サービスの場合には報酬はなく、情報の生産・交換そのものが目的だから、これを高める簡単な手段はなく、参加するユーザーがサービスの中に目的を見出すよう仕向けるしかない。

しかしサービスを設計した人の設定した目的が、ユーザーと一致することはまずない。たとえば携帯電話は、初期にはビジネスマン用の高価な事務機として設計されたが失敗し、料金を下げて女子高生のおもちゃになって成功した。NTTドコモのiモードが当初、発表されたときの売り物も、銀行振り込みなどのセキュリティだったが、実際にはそのサイトの大部分は娯楽系だ。だがサービス提供者が間違えても、ユーザーが勝手に目的を設定できるようになっていればよい。それが目的を持たない汎用技術(enabling technology)であるインターネットの強みだ。

だから制度設計でもサービスの設計でも重要なのは、なるべく意思決定をユーザーにゆだね、自由に改造できるようにすることだ。ユーザーの行動も大部分は間違っているだろうが、間違い(突然変異)の多さは進化の原動力であり、それを事後的に淘汰するメカニズムさえあればよい。もちろん、2ちゃんねるのようなアナーキーに転落しないように最小限度のルールを設定する必要はあるが、その場合も重要なのは自生的秩序を尊重し、目的を設定しないことだ。ハイエクが強調したように、自由とは「~を禁止しない」という消極的な概念であって、特定の目的を達成することではないからである。