不二家の社長が辞任を発表した。だれもが思い出すのは、5年前の雪印の事件だろう。あのときも社長が辞め、スーパーから商品が撤去されて、雪印は倒産寸前まで行ったが、その後どうなったかはあまり聞かない。実は、今では雪印のROE(株主資本利益率)は14.8%と東証の平均をはるかに上回り、その株価は事件前の水準に戻っているのだ。

柳川範之『法と企業行動の経済分析』は、雪印の事業再生の過程をあとづけ、破局的な事件がかえって思い切ったリストラを可能にし、本業に特化することによって資本効率が向上したことを指摘している。Fukuda-Koibuchiは、長銀の破綻後の取引先を追跡し、資産の厳格な査定によって多くの企業が破綻したが、新生銀行に債権が引き継がれた企業の株価は大きく上がったことを示している。これに比べると他の銀行の取引先は、破綻も少なかったが、業績の向上も起こらなかった。

不二家のように業績が長期低落している老舗企業は多いが、ほとんどは銀行によって延命されながら没落してゆく。非効率な経営をしていても、資金繰りで行き詰まらないからだ。このような現象を、コルナイ「ソフトな予算制約」(SBC)と名づけた。SBCは社会主義国の市場経済化に際して起こる生産性低下の最大の原因であり、その対策は金融仲介機関を分権化して予算制約を「ハード化」することだ。「日本型社会主義」からの脱却にあたってもSBCが最大の問題であり、90年代の不良債権問題はそれを克服して金融機関を分権化するチャンスだったが、大蔵省の官製粉飾決算と日銀の超緩和政策による銀行救済で、日本はチャンスを逃してしまった。

いまだにケインズ的な財政・金融政策を求める人々(自称「リフレ派」を含む)は、「構造改革は景気がよくなってからやればよい」というが、業績がよくなってから人員整理を行う経営者がいたら教えてほしいものだ。Jensenも指摘するように、資本主義は効率が低下した企業の予算制約をハード化することによって経営者を不採算事業からの撤退に追い込む「自動退出装置」なのである。今回の事件も、慢性的な赤字に悩む不二家にとってはblessing in disguiseかもしれない。