著者は、私の昔の仕事上のライバルだった。私がイトマン事件を追いかけていたとき、必ず取材先に先に行っている朝日新聞の記者がいた。毎日新聞から引き抜かれるという珍しい経歴の持ち主で、日経の大塚将司記者とともに、業界のトップランナーだった。この種の事件は、取材で知りえた事実の1割も記事にはできない(NHKの場合にはさらにその半分も番組にはできない)が、90年代の事件については「時効」になったので、今だからいえる話もさりげなく書かれている。

特におもしろいのは、1998年の接待疑惑の発端となった大蔵省証券局のS課長補佐の事件だ。彼は接待だけでなく、風俗店(ソープランド)に頻繁に行っており、これが逮捕の決め手になった。当時の霞ヶ関の暗黙のルールでは、接待はシロだが現金はクロで、女は現金と同等という扱いだったからだ。

ところが逮捕してから、この風俗の出費は自費(!)であることが判明した。検察は動転したが、「50年ぶりの大蔵キャリア逮捕」を不起訴にするわけには行かないので、213万円の接待で起訴した。この結果、法的には他の「ノーパンしゃぶしゃぶ」などもすべて犯罪に問われる可能性が出てきた。結局、大蔵省が3人の幹部を懲戒免職にするなど112人を処分する代わり、刑事訴追はしないということで決着がはかられたが、大蔵省と検察の関係はガタガタになった。

最大の問題は、不良債権処理の過程で大蔵省が銀行に債務超過状態を隠蔽するよう指導した「官製粉飾決算」を、検察が見逃したことだ。特に日債銀救済のために金融機関34社から「奉加帳方式」で2107億円も集めた(すべて損失になった)事件について、検察は銀行局の幹部に事情聴取したが、立件を見送った。結局、不良債権の問題で刑事責任を問われたのは、国有化(税金投入)にともなう「国策捜査」によってスケープゴートにされた長銀や日債銀などの旧経営陣だけで、「主犯」だった大蔵省の責任は不問に付されてしまった。

ライブドア事件などについては、淡々と事実をのべるにとどめ、あまり検察批判には踏み込んでいないが、著者は個人的には検察の捜査能力の低下に危機感をもっている。最近の的はずれな捜査は、「国策」というより、急速に変化する市場の現実に検察の捜査手法がついていけず、霞ヶ関が「情報過疎」になっていることが原因だろう。本書に書かれているように、官庁間の取引で犯罪がつくられたり闇に葬られたりする現実を見ると、日本が本来の意味で「法治国家」になるには、まだ時間がかかりそうだ。