レオナルド・サスキンド

日経BP社

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先週Smolinの本を読んで、宇宙論に興味をもったので調べてみたら、ちょうど「主流派」のリーダーの訳本が今週、発売された。もちろん結論はSmolinとは正反対で、物理学の理論としてどっちが正しいのかは私にはわからないが、話としてはこっちのほうがはるかに奇想天外でおもしろい。

ポイントは、Smolinの批判する人間原理(anthropic principle)を「物理学のパラダイム転換」と開き直って宇宙論の中心にすえたことだ。ひも理論の中身はわからなくても、人間原理はだれでもわかる。要は、この宇宙が今のような素粒子でできているのは、そうでなければ宇宙を観察する人間が存在しえないからだ。これは絶対に正しい。なぜなら同語反復だからである。

もちろん物理学の人間原理は、もっと洗練されている。たとえば宇宙定数(λ)とよばれる真空エネルギーの密度(多くの素粒子のエネルギーの和)は10-120だが、互いに無関係な素粒子の正負のエネルギーが偶然に相殺してちょうど0に近い値になることは考えられない。そこには何らかの理論的な理由があるはずだとだれもが考えたが、説明がつかない。そこで最後に出た結論は、これは偶然だが、人間にとっては必然だということだった。宇宙定数(物体間の斥力)が10-119より大きいと、宇宙が急速に発散し、銀河も生命も存在しえないからだ。

しかし、ひとつしかない宇宙でこのような幸運がそろう確率は0に近い。問題は、そういうありえない偶然が実現したことをどう説明するかである。ここで著者は、ひも理論の種類があまりにも多く「破綻した」といわれている状況を逆用し、むしろ莫大な数の宇宙があるからこそわれわれの宇宙もあるのだ、と主張する。私が宝くじに当たる確率は0に近いが、だれかが当たる確率は1である。ひも理論の予言するように10500種類の宇宙が存在すれば、そのひとつの宇宙定数が偶然λになる確率は高くなる(*)

問題は、宝くじが本当に発行されたのかということだ。今のところ、他の宇宙が存在するという根拠は観測では示せないが、インフレーション宇宙論によれば、インフレーションの繰り返しによって莫大な数の「ポケット宇宙」が生み出されているはずだ。実験は不可能だが、将来は宇宙の観測によって人間原理が検証されるかもしれない。ひも理論は完成には程遠いが、今のところ宇宙を説明する理論としてこれに代わるものはない。

とはいえ、この説明は憶測と状況証拠ばかりで、実証科学の理論としては心細く、まだ多くの物理学者が納得しているわけではない。ひも理論でノーベル賞を受賞した物理学者はいない(著者はその最有力候補)が、Ed Wittenは皮肉なことにフィールズ賞を受賞した。人間原理が反証不可能だというSmolinなどの批判に対して著者は、科学理論を選択するのは哲学者のこしらえた基準ではなく科学者集団の合意だと反論する。

話はほとんどSFのように荒っぽく、素人でも容易に突っ込みを入れられそうなところがおもしろい。問題が実証でも反証でもなく理論を信じるかどうかに帰着するなら、人間原理も「慈悲深い神が現在の宇宙を選んだ」と主張するインテリジェント・デザインも同列ということにならないか――という問いには、著者はその論理的な可能性を否定していない。物理学が天地創造説よりもすぐれているのは、(神という)仮説がひとつ少ないだけなのかもしれない。

(*)しかしSmolinも指摘するように、この逆は成り立たないので、人間原理は多宇宙の存在する根拠にはならない。宝くじに当たった人にとっては、発行枚数が1億枚でも1枚でも、自分が当たったという事象の確率は1だから、ひとつのサンプルから母集団の数を推定することはできないのである。