大森 彌

東京大学出版会

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戦後改革で、日本の政治・経済システムはほとんど解体されたが、官僚機構だけは(軍と内務省を除いて)残った。それはマッカーサーが占領統治を円滑に進めるため、天皇と「天皇の官吏」だけは残そうと考えたためだ――と一般には考えられているが、実は官僚機構も解体される寸前だったのである。それを明らかにするのが、本書の第1章に描かれた「職階法」をめぐる顛末だ。

これはGHQによって導入された米連邦政府などで採用されている人事制度で、公務員を職能ごとの「官職」で分類し、その職務の中で果たす「責任」を明示的に記述し、それに応じた「職級」に適合するかどうかの試験によって昇進させるものである。これはアメリカの大企業で一般的な「科学的人事管理」の手法を政府に導入し、政治任用にともなう猟官運動を抑止しようというものだった。

職階制は、1948年に施行された国家公務員法と1950年の職階法で規定されたが、当時の大蔵省給与局を中心とする官僚機構は、これに徹底的に抵抗した。建て前としての職階法は守りながら、戦前からの高等官/判任官という身分制度を守るため、職階に付随する給与制度として15段階の「給与等級」を定めた。これは戦前の15段階の身分制度と実質的に同じもので、そのうち6級に編入する試験に「上級職試験」という通称をつけ、戦前の高等文官と同じ昇進制度を守ったのである。

今でも職階法は存在するが、それは50年以上も執行されないまま放置されている。キャリアと呼ばれる上級職(現在のⅠ種職)も、上述のように法的根拠はないにもかかわらず、昇進ルールから退職後の天下りに到るまで戦前とほとんど同じだ。昇進試験も行われず、戦前と同じ厳密な年功序列が守られている。ここに見られるのは、戦犯を絞首台に送ったGHQの絶対的権力に対しても面従腹背で生き延びた、日本の官僚機構の恐るべき生命力である。

ただ職階制のようなアメリカ型の組織原則を日本に移植しても、うまく行ったとは思えない。本書も指摘するように、霞ヶ関の行動単位は「大部屋」による人的な結合であり、キャリアは多くの職務を転々とするジェネラリストだからである。本書は、行政の実態について多くの興味深い実態を紹介しているが、その提案する改革は、ノンキャリアの登用や政治任用の拡大など平凡だ。そういう改革が、何十年も前から提案されながら実現しない原因こそ真の問題である。それは本書のような行政学の範囲を超え、日本の「国のかたち」の根幹にかかわるのだろう。