小杉 泰

講談社

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イスラムというのは、わかりにくい。キリスト教の場合には、多かれ少なかれ日本人もキリスト教的な文化にふれているので、なんとなくわかった気になるが、イスラムについては、その文化的背景がまったく異質なので、あの特殊な教義がなぜこれほど広範な地域に普及したのか、よくわからなかった。しかし本書で、それがやっと少しはわかったような気がする。

イスラムがわからない一つの原因は、それをキリスト教と同じような「宗教」と考えるからだろう。実際には、それは宗教であると同時に法であり、イランの指導者ホメイニやハメネイも法学者である。イスラムが世界に広がったのは、それが宗教として深遠だったからでも現世利益があったからでもなく、この宗教=法による結束の強さが軍事的にきわめて強力であり、征服によって多くの民族をその版図に入れたからである。

戦争にとってもっとも重要なのは、著者も指摘するように「共同体のために命をかけて戦えるかどうか」である。合理的に考えれば、自分が死んでしまえば共同体がいかに栄えても意味がないので、戦争に参加するには何らかの意味での狂気が必要である。国家というのは、そうした狂気を生み出す「戦争機械」であり、もっとも強力な狂気を生み出した国家が栄える。イスラムは、人々を政治的=宗教的に「垂直統合」することによって兵士の強いコミットメントを実現したのである。

戦争に勝つもう一つの要因は、国家の規模である。戦闘では多くの軍勢を動員したものが勝つので、伝統的な村落や都市国家は軍事的には弱い。イスラムは、その普遍主義的な教義によって部族の枠を超えた帝国を実現し、他の民族を征服した。しかし、こうした宗教的統合に依存した垂直統合型の帝国は、大きくなりすぎると求心力が弱まる。末期のオスマン帝国は、宗教も言語もバラバラだった。

イスラムが衰退したのは、それよりも強力な戦争機械である西欧の主権国家に敗北したからである。主権国家は、イスラムと違って世俗的な政治・経済システムをキリスト教と「水平分離」して科学技術を発展させ、強力な武器を開発した。その兵士を駆り立てるのは、宗教に依存しない「愛国心」という狂気である。それを「郷土や伝統を愛する心」などと言い換えるのは偽善であり、愛国心は「国家のために命をかける心」にほかならない。よくも悪くも、こうした狂気の強さが国際秩序を決めているのである。