4日の「効率の高すぎる政府」という記事には、当ブログで最大のリンクが集まった。これはわかる人にわかるようにしか書かなかったので、当ブログの読者のレベルが高いことには驚いた。友人の話によると、霞ヶ関にも読者が多いようだ。ただ、ゲーム理論などの説明が省略されてわかりにくいというコメントもあったので、ちょっと長文になるが、付録として問題を簡単に整理して参考文献やリンクをあげておく。

日本の官民のガバナンスが長期的関係に依存したものだという指摘は、そう新しいものではない。よく日本の銀行は効率が悪いといわれるが、銀行員の数は、邦銀(4大グループ)が2~3万人なのに比べて、欧米の商業銀行は10万人を超え、邦銀の行員1人あたり資産は外銀の数倍である。それが可能なのは、邦銀が個別プロジェクトのリスクを管理しないで、メインバンクと融資先との長期的関係によってモラル・ハザードを防いできたからだ。「卸し売りのモニタリング」というのは、邦銀についてのゴールドマン・サックスのDavid Atkinsonの表現である。

Rajan-Zingalesは、こういうしくみをリレーションシップ資本主義と呼んでいるが、これは彼らもいうように中世以来の伝統的なガバナンス様式である。Greifも示すように、中世のマグレブ商人の相互監視メカニズムは、裏切り者を村八分にすることによって規律づけるものだった。日本でも、企業システムでこの種のメカニズム成立しているが、それについての系統的な説明はあまり見当たらない。我田引水だが、拙著(絶版)の第5・6章にそういう話がまとめてある。

長期的関係によってモラル・ハザードが予防できることは、前にも書いたようにフォーク定理で簡単に説明できる。これは「囚人のジレンマ」が同じメンバーで繰り返される場合、「集団内で得られる長期的なレントの割引現在価値が十分大きければ、裏切って集団から排除されるよりも協力するほうが得になる」という命題である。これはAxelrodの進化ゲームと混同されることが多いが、TIT FOR TATが最強の戦略だという結論は、学問的にはもう葬られた話だ。フォーク定理でサブゲーム完全均衡になるのは引き金戦略(GRIM)である。この種の理論の解説としては、松井がくわしい。

この関係依存型システムには、前にも書いたように競争を阻害するという欠陥があるが、自発的に市場型システムに移行することはむずかしい。関係依存型システムが成立するには、メンバーが固定され、ゲームが長期にわたって続くという期待(割引因子)が高く、集団内で得られるレントが大きい必要がある。こうした条件は互いに補完的なので、関係依存型システムの一部だけを変えると、かえって効率が落ちてしまう。

こうした異なるシステムの関係は、一つのゲームに複数のナッシュ均衡が存在する複数均衡になっていると考えられる。これは縦軸に利得をとると、図のように複数の山(局所解)がある状態で、市場のような逐次最適化メカニズムでは必ずしも全体最適に到達できない。初期状態がXよりも右側にあるとき、逐次最適化によって斜面を上ると、B(関係依存型)に到達する。これが大域的にA(市場型)に劣る場合でも、Bも局所的には頂上(ナッシュ均衡)なので、そこから自分だけ離れることはできないという「コーディネーションの失敗」が起こってしまうのである。



この種の非凸の最適化問題には、いろいろな解き方がある。アプリオリに関数がわかっていれば、問題はトリヴィアルで、聡明な官僚が全体最適解を決めて民間を指導すればよい。しかし実際の問題では、関数が与えられることはないので、どこに全体最適があるのかをさがす試行錯誤が必要になる。こういうときのアルゴリズムとしてコンピュータ業界の人々におなじみなのは、遺伝的アルゴリズムだろう。これは一定の確率で突然変異を起こして一方の山から他方の山にジャンプさせるものだ。同様のアルゴリズムとして、ニューラルネットで使われるsimulated annealingがある。これはシステム全体のエネルギーを上げて撹乱し、ゆるやかにエネルギーを下げて全体最適(ポテンシャル最小の点)をさがす方法だ。

経済システムにこういうアルゴリズムを適用すると、一つの均衡から他へのシステム間移行は、市場メカニズムで行うことはできず、政権交代や「金融ビッグバン」のような不連続な変化によって一挙に起こるということになる。ところが同質的なメンバーで構成される関係依存型の「総動員体制」では、突然変異や撹乱が抑制されるので、システム間の移行は困難になる。しかも危機に直面すると、「日の丸検索エンジン」のように、逆に総動員で既存のシステムを守ろうとする傾向が強い。

だから前の記事にも書いたように、行政の中だけの局所的な効率化を考えていてはだめで、全体的な最適化を考える必要がある。それは市場だけではできないので、重要なのは意図的にシステムを撹乱し、さまざまな実験を行って最適解をさがすことだ。そのために役所にできる最善の政策は、規制を撤廃して行政の代わりに資本市場のガバナンスにゆだね、紛争を事後的に低コストで処理する司法的なインフラ(ADRなど)を整備することだろう。