橘木氏の本でも論じられているが、日本の国民負担率は37%と、OECD諸国の中でアメリカに次いで低い。今の財政赤字をすべて増税でファイナンスしても50%に満たず、先進国では最下位グループだ(経済財政白書)。だから小泉政権でも「小さな政府」というスローガンはやめて「簡素で効率的な政府」などというようになり、安倍政権では「筋肉質の政府」という変な表現も出てきた。しかし行政の効率を公務員(独立行政法人などを含む)の人口比率で比べても、日本は1000人あたり35人と、OECDで最低だ。つまり数値的な国際比較で見るかぎり、日本はすでに効率的な政府なのである。

本質的な問題は財政負担ではなく、むしろなぜこのように効率が高いのかということだ。たとえば、かつての金融行政は、ほとんど銀行・証券業界の業界団体による「自主規制」で運用されていた。大蔵省はそれを監督するだけだったため、SECの数十分の一の要員で規制できたのである。日本の規制の大部分は、こうした非公式の行政指導で行われているが、それを破る者はいない。そんなことをしたら、許認可の権限をもつ役所にどんな仕返しをされるかわからないからだ。要するに、官庁が業界団体や系列の長期的関係を通じて卸し売りでモニタリングできるため、効率が高かったわけだ。

法的な規制の数(製品市場規制指標)で比較しても、日本はOECDの平均より少ない。官僚自身にも、強大な権限を行使しているという自覚はなく、よく「私たちは調整しているだけですから・・・」という。しかし民間から見ると、その「調整」が暗黙の強制力をもつのである。たとえば、NTTの放送事業への出資を3%以下に規制しているのは、法律でも通達でもなく、1999年の電波監理審議会の議事録である。これはもちろん法的な拘束力はないが、今でもNTTグループ各社は3%以上の出資をしていない。

こういう効率が維持できるのは、その集団のメンバーが長期的に同じ取引を繰り返すときに限られる(ゲーム理論でよく知られるフォーク定理)。だからモニタリングの効率を高めるには、参入を禁止してメンバーを固定し、集団内でレント(既得権)を保証することによって「村八分」になった場合の機会損失を高めるしくみが必要だ。「護送船団行政」は、この教科書どおりの制度だが、このような参入規制が競争を制限し、日本のファイナンス業界や通信・放送業界をだめにした。裁量的な事前規制は、行政の効率は高いが、経済の効率を低下させるのである。

重要なのは、行政の効率ではなく経済の効率を高めることだ。そのためには、参入規制を撤廃しなければならないが、これによって行政の直接経費が下がるとは限らない。参入が自由になると、長期的関係による暗黙のモニタリングは困難になるので、ルールを明文化し、違反を取り締まる公務員を増やして、事後的に小売りでモニタリングしなければならないから、SECのように監督機関の規模は大きくなる。

しかし橘木氏のいうように、もっと「大きな政府」にすべきだということにはならない。政府支出には一定のオーバーヘッドがあるので、北欧などの小国で財政のGDP比が高くなり、日米のような大国で低くなるのは、ある程度は当然だ。日本の政府支出の絶対的な規模はアメリカに次いで大きいので、財政的にも今以上に大きな政府にすべきではない。もっと重要なのは、統治機構の中で行政に権限が集中していることだ。

日本では立法・司法機能が弱いため、官僚が法律をつくり、それを解釈し、行政処分で処罰する権限までもっている。Shleiferなどの実証研究が示すように、行政中心(大陸法)の国の成長率は司法中心(英米法)の国に劣る。事前の規制で紛争を押さえ込む制度は、摩擦は少ないが、自由度が低いからだ。日本でも、官僚の役割を司法で代替し、個人間の紛争処理で解決する制度改革が必要である。奇妙な表現だが、日本の政府は効率が高すぎるので、行政の権限を縮小する必要があるのだ。

追記:TBで、公益法人などを含めると「公務員」は1000人あたり50人近くになるという指摘があるが、政府の経営していない公益法人を「政府企業」に含めるのはおかしい。また国際比較でもわかるように、たとえ50人になるとしても、主要国で最低である。