経済産業省は、「日の丸検索エンジン」について50億円を概算要求することを決めた。これは初年度だけの予算で、総額は300億円といわれる。これについて取材した記者が、経産省の担当者に「過去に第5世代コンピュータやシグマ計画が失敗したことをどう考えているか?」と質問したところ、驚いたことに「知らない」と答えたそうだ。第5世代については、先日の記事でも紹介したので、シグマについてごく簡単にまとめておく。

シグマ計画は、1985年から5年かけて250億円の国費をつぎこみ、国内のコンピュータ・メーカーを集めて、日本語で使えるUNIXツールの標準規格をつくろうという計画だったが、これについての通産省の事後評価は存在しない。業界でも、シグマの話はタブーとされており、ウェブにも関連する情報はほとんど出ていない。当事者の話としては、提唱者のインタビューや「被害者」の書いたでふれられている程度である(その他の情報のリンク集)。

そのきっかけは、「1990年には60万人のソフトウェア開発技術者が不足する」という産業構造審議会の1984年の答申だった。これを克服するには、ソフトウェア開発を効率化しなければならない、という目的で、このプロジェクトは始まった。ソフトウェア部品を共通化し、それを企業間で共有しようという理想も悪くなかったし、そのベースにUNIXを採用したことも、ワークステーションの技術としてはそう間違っていなかった。

問題はそこからだ。全コンピュータ・メーカーのコンセンサスで進めたため、当初の目的だった研究開発よりも、メインフレームで使われていた既存のツールをUNIXに移植することが主な作業になってしまった。UNIXベースのツールとしては、EmacsやTeXなどすぐれたソフトウェアがたくさんあるが、それも「シグマ化」したものしか使えなくなった。またプラットフォームとしてUNIX System Vという少数派の方言を固定したため進歩が止まり、日本ローカルのUNIXツールを大量に作り出す結果になってしまったのである

しかも本来はソフトウェアのプロジェクトだったのに、主要なメンバーがハードウェア・メーカーだったため、予算の大部分はハードウェアにつぎ込まれた。「Σセンター」に各社のメインフレームを4台も置き、そこに蓄積されたΣツールを各企業のΣワークステーションと結んで転送するΣネットワークも構築されたが、ほとんど利用されなかった。

ツールを国費で作らせて共有させるというのも、ビジネスを考えない甘い構想だった。企業にとっては、開発の成果をライバル会社と共有するのはいやだから、シグマに出すのはつまらないものばかりで、アップデートも止まり、使い物にならなくなった。結果的には、予算のほとんどはコンピュータやネットワークのコストとしてメーカーの食い物にされ、全国に性能の悪いΣワークステーションをばらまいただけに終わった。

しかも、この種の国策プロジェクトの常として、失敗を想定していないため、exit strategyがなく、最初の2年ぐらいでだめとわかってからも、延々とプロジェクトは続けられ、その「成果」を売る会社「シグマシステム」まで作られた。最終的にこの会社が解散したのは、95年である。今回の日の丸検索エンジンについても、記者が「失敗したらどうするのか?」と質問したところ、経産省の担当者は「失敗は想定していない」と答えたという。歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、2度目は茶番として・・・