今週の『週刊新潮』に「『昭和天皇』富田メモは『世紀の大誤報』か」という記事が出ている。内容は、先々週から先週にかけて2ちゃんねるやブログで騒がれた話だ。詳細は、たとえば「依存症の独り言」にもあるが、テレビで撮影された手帳の裏側にうっすら見える字を左右反転して解読したもので、糊で貼り付けられた部分の「全文」は次のとおり読めるそうだ。太字にしたのが、日経の引用した部分である(改行などは整理):

              63.4.28 [■]
☆Pressの会見
                            
[1] 昨年は
  (1) 高松薨去間もないときで心も重かった
  (2) メモで返答したのでつくしていたと思う
  (3) 4.29に吐瀉したが その前で やはり体調が充分でなかった
  それで長官に今年はの記者 印象があったのであろう
   =(2)については記者も申しておりました
 
[2] 戦争の感想を問われ 嫌な気持を表現したが それは後で云いたい
  そして戦後国民が努力して 平和の確立につとめてくれたことを云いたかった
  "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて云った積りである

               4.28 [4]
  前にあったね どうしたのだろう
  中曽根の靖国参拝もあったか
  藤尾(文相)の発言。
   =奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う
  単純な復古ではないとも。

  私は 或る時に、A級が合祀され その上松岡、白取までもが、
  筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
                      
  松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
  松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
  だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ


     ・ 関連質問 関係者もおり批判になるの意

これが「徳川義寛・元侍従長の他の発言と符合する」というのが、この記事の趣旨だが、これもブログでさんざんいわれた話である。ところが、この記事にはブログの話はもちろん、全文も出てこない。この「特集」とは別の櫻井よしこ氏のコラムでは、上の全文が出所を示さずに引用されているが、徳川氏にはふれていない。ウェブで2週間も前に出た話の一部を、大手週刊誌が別々の記事で、出所も明示せずに取り上げたことになる。これは画像を解析した結果を示している2ちゃんねるの書き込みよりも信用性が低い。

この全文については、他の新聞・雑誌も黙殺している。少なくとも、これを撮影したテレビ局は、メモの裏側に書かれた[1][2]を撮影することもできたはずだが、それもしていない。第1報のときも「日経新聞によると」というクレジットはなく、あたかも独自に取材したかのように、各社とも太字の部分だけを引用している。

信憑性については、[4]の部分は画面からも読み取れるので、間違いない。[1][2]についても、[3]が抜けている([4]の裏側で貼り付けられた可能性もある)点を除けば、おおむね妥当な解読結果だろう。しかし、これを徳川氏の話と考えるのは無理がある。このメモにはどこにも徳川氏の名前が出てこないし、彼はこの前後に「Pressの会見」をしていないからである。

この「会見」とは、素直に読めば、1988年4月25日に行われた昭和天皇の記者会見のことだろう(当時の記録とも一致する)。この会見は天皇の体調不良のため、15分で打ち切られたので、29日の天皇誕生日の記事のために、富田朝彦・宮内庁長官(当時)が会見を補足する「記者レク」の材料を天皇に取材した、と考えるのが常識的だ。

ただし問題の太字の部分は、明らかに記者レクで話せる内容ではないし、「A級」という表現も、天皇の発言としては不自然だ。これは天皇のオフレコの話を富田氏がメモしたものとも解釈できるが、全体が徳川氏からの伝聞で、[4]の部分が徳川氏自身のコメントだということも考えられる。いずれにしても、このテキストによる限り、どこにも主語が天皇だとは書かれていない。「昭和天皇が不快感」と日経が断定的に報じた部分が天皇の発言だという根拠もないのである

通常の文献考証の手続きとしては、少なくともこの糊付け部分だけでも全文を解読し、筆跡鑑定をするとともに、発言者がだれかを確認することが第一である。ところが、こうした基本的な調査もしないで、「首相の靖国参拝に影響」とか「勢いづく分祀論」といった政局ネタだけは一生懸命追いかける。先走る前に、まず問題の手帳の原文を専門家が厳密に検証する必要がある。