資本主義から市民主義へ

岩井 克人/三浦 雅士

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岩井氏の『貨幣論』など一連の著作をまとめて、当節流行の「語り下ろし」で作った本。内容は、ほとんどこれまでの本と重複しており、それを読んだ人は本書を読む必要はない。逆に、本書1冊を読めば、これまでの本を読む必要はない。「貨幣は貨幣であるがゆえに貨幣である」「法は・・・」「言語は・・・」という同語反復を果てしなく繰り返す岩井氏の本は、もうこれで打ち止めにしてはどうか。

しかも「貨幣はデファクト・スタンダードだ」という本書の議論は誤りである。貨幣は、政府によって定められたde jure standardである。特に銀行口座でデジタル情報になった貨幣を複製するコストはゼロに等しいから、事後的には複製することが効率的だが、貨幣を複製することが許されるのは政府だけだ。複製を自由にすると、ハイパーインフレーションが起きて、貨幣の価値はなくなってしまうからである。貨幣は岩井氏のいうような単なる記号ではなく、国家権力という「実体」をもっている。この通貨発行権の独占によって、市場(資本主義)のレイヤーと法(国家)のレイヤーはリンクしているのである。

では情報(言語)のレイヤーと市場のレイヤーはどうリンクしているのだろうか。かつては、紙という媒体によって両者はリンクしていたが、デジタル情報では、そういう物理的なリンクは失われてしまった。今は著作権という(紙幣と同じぐらい古い)疑わしい権利によってかろうじてリンクされているが、インターネットによる情報のハイパーインフレーションで、その財産価値はますます疑わしくなってきた。

ハイパーインフレの原因としてもっとも多いのは、戦争などによる政府(通貨発行主体)への信任の喪失である。YouTubeなどの情報インフレの原因も、アメリカ主導の「知的財産権」レジームへの不信任ではないか。その政府が完全に崩壊したとき、ハイパーインフレも終るのだが・・・