今月9日の「インサイダー取引はなぜ犯罪なのか」という記事には、たくさんのリンクやTBがついて、ブログでも話題になったようだが、意外に理解されていないのは、そもそもインサイダー取引が禁止されているのはなぜか、ということだ。以下は(前の記事では省略した)初歩的な解説なので、ちょっとくどい。知っている人は無視してください。

インサイダー取引が禁止されているのは、多くの人が素朴に信じているように、それが「詐欺」だからではない。だいたい「インサイダー取引」の定義さえ自明ではないのだ(インサイダー取引を説明する東証のパンフレットは50ページもあるという)。他人の知らない(未公開の)情報を使ってもうけることは、資本主義の鉄則であって、それが違法なら、世の中の企業秘密はすべて違法になる。

前にも書いたように、商品市場にも不動産市場にも、インサイダー規制はない。たとえば、サウジアラビアが原油の生産量を減らすという未公開情報を入手したトレーダーは、それがメディアで報道される前に、石油の買いを大量に入れるだろう。それで彼がもうければ、彼は優秀な相場師として賞賛されることはあっても、犯罪者とされることはない。機関投資家などの「玄人」が売買している分には、インサイダー取引は当たり前だ。事実、1980年代までの兜町ではそうだった。市場の話としては、ここで終わりである。インサイダー取引を禁止する自明の理由はない。

しかし証券市場が他の市場と違うのは、それが石油や不動産のような商品取引ではなく、企業の資金調達の場だということである。石油の相場がどうなろうと、世の中から石油がなくなることはないが、証券市場の参加者が少ないと、企業は十分な資金を調達できない。多くの「素人」が参加して証券市場の規模や流動性を高めることは重要だが、彼らと玄人の情報格差があまりにも大きいと、損失を恐れて素人は証券投資をしないだろう。したがって機関投資家と個人投資家を対等にするため、情報が公開されるまで取引を禁じるインサイダー規制ができたのである。

つまり「市場」にとってはインサイダー規制は有害だが、「資本主義」にとっては多くの投資家が資本市場に集まる必要がある。したがって市場に行政が介入することによって機関投資家の情報収集が制約される社会的コストと、それによって資本市場の規模が大きくなるメリットのどちらが大きいかが問題だ。これは理論的にはどちらでもありうるから、実証的な問題である。前回の記事でも補足したように、最近の実証研究によれば、インサイダー取引を禁止している国では、個人投資家の比率が高く、資本市場の規模と経済成長率には有意な相関があるから、証券市場の透明性を高めることは経済全体にとってプラスだと推定できる。

要するにインサイダー規制は、個人投資家を資本市場に参加させる「集客」の目的で設けられた規制なのである。磯崎さんの言葉でいえば、それはサッカーのオフサイドのように、それ自体はルール違反ではないが、それを許すとゲームがつまらなくなる(観客が集まらなくなる)からできた人工的なルールなのだ。だから47thさんも指摘するように、証券市場への行政の介入にはコストとメリットの両面があるということを「審判」が理解していることが重要だ。「ルール違反は厳罰に処すべきだ」という(それ自体は反対しにくい)建て前論によって、インサイダー取引の範囲が恣意的に拡大されると、証券市場の機能をかえって阻害することになりかねない。

追記:投資家の数が多いほどよい、というのは企業統治の観点からは必ずしも正しくない。昔の日本のように銀行が大口の融資をして企業をモニタリングする方式もありうるし、LBOでは投資家を減らす(負債に切り替える)ことによって企業を規律づける。ただ、資金調達がグローバルになると、銀行による規律は機能しなくなる。ここでアウトサイダーを「素人」と書いたのも必ずしも正しくなく、グローバルな市場では国内外の機関投資家の平等という意味もある。