新聞の「特殊指定」をめぐる記事を検索していると、こういうインタビューが出てきた。
--新聞の特殊指定制度廃止を急ぐ公取委の動きをどう見ますか。
 ◆公共経済学の問題だと思いますね。公共経済学ってのは要するに、世の中には、市場原理にゆだねてはいけない公共財というものがあるんだってことを経済学的に勉強するんです。
--新聞は公共財だと思いますか。
 ◆もちろん、そう思っています。(毎日新聞4/19)
答えているのは、長尾龍一氏(日大教授)。法哲学者でよかったね。経済学者が公の場でこんな発言をしたら、学者生命を失うだろう。公共財というのは「非競合的」で「排除不可能」な財だ、というのは大学1年生の教科書にも書いてある。新聞は、競合的で排除可能な「私的財」である。

こういう人の頭にある「市場原理」というのは、公共性と無縁なエゴとカネの世界なのだろう。しかし経済学のもっとも重要な発見は、市場原理は公共的な意思決定を分権的に行うメカニズムだ、ということである。取引は一見、個人が私的に行う活動だが、それが一定の条件のもとで市場で集計されると、社会的にも(政府による集権的な決定よりも)効率的な結果をもたらすのである。

もちろん、分権的な決定の集計が非効率的な結果をもたらすこともある。道路や街灯のような公共財は「外部性」が大きいので、私的に取引することは非効率的だ。ところが、NHKが「公共放送」だとか、新聞が「公共的な使命」を果たしているとかいうとき、漠然と「多くの人がともに使う」という意味で使われることが多い。そう使うのは自由だが、それは「市場原理にゆだねてはいけない」ことと無関係である。電力もガスも、多くの人がともに使うが、私的財として従量料金を取っている。

経済学のトレーニングを受けた人とそうでない人の違いは、市場を意思決定や紛争解決のメカニズムととらえるかどうかにあると思う。これは現実の市場をみていてはわからず、それを「財空間」や「生産可能集合」のような抽象化されたモデルで考えないと理解できない。そういう点を系統的に書いた古典としては、T.C. Koopmans, Three Essays on the State of Economic Scienceがある(絶版だが、図書館にはあるだろう)。経済学の教科書を1冊だけ読むなら、私はこの本(の第1論文)をおすすめする。

来週のICPFセミナーでは、新聞協会の幹部に、新聞の「公共性」についてもじっくり話を聞く予定である