昔、NHKの会長に島桂次(通称シマゲジ)という型破りな人物がいた。1991年に失脚し、96年に死んだので、いま放送業界を取材している記者も知らないことが多いようだが、彼のやったことを知っておくのは、今後の通信・放送融合時代にも役に立つだろう。

島は、池田勇人付きの「派閥記者」として頭角をあらわし、大平派では「派閥の序列No.2」として大平の隣に座ったといわれる。NHK政治部の主流からはきらわれ、報道番組部次長やアメリカ総局長に「左遷」されたが、彼はそうした経験を生かして、テレビの演出を変革した。アメリカ流の「キャスター」を使った「ニュースセンター9時」や、職域を超えたプロジェクトによる大型番組「NHK特集」をつくったのも彼である。

1989年に会長になってから島は、住友銀行の磯田一郎(当時の経営委員長)と組んで「商業化」路線を推進した。なかでもNHKエンタープライズの子会社として作った「国際メディア・コーポレーション」(MICO)は、NHKグループの中核会社として、放送法の制約を受けずに事業展開を行う予定だった。将来は、島はMICOの社長となって「日本のマードック」としてグローバルに経営を行い、NHKは逆にMICOの子会社にするつもりだった。その第1弾として、米ABCや英BBCと組んでグローバルにニュースを配信するGNN(Global News Network)という構想を正式に表明した。

島は他方で、NHKを抜本的にスリム化する構想も持っていた。彼は「NHKは波を持ちすぎだ」と公言し、教育テレビやラジオ第2放送を削減しようとした。また報道をのぞく番組制作部門はすべて外注すればよいという方針で、番組制作局の「部」を「プロダクション」と改称した。最終的には、NHKを24時間ニュース専門の「第1NHK」と、娯楽・スポーツなどを中心にする「第2NHK」に分割し、第2NHKは民営化する方針だったという。しかし、こうした構想は、島が失脚すると、すべて白紙に戻ってしまった。

いま思えば、島の構想は大風呂敷すぎたが、「半国営」で受信料収入に制約されたままでは自由にビジネス展開もできないと考え、民間資本を導入して企業としてのNHKを自立させようとした彼の見通しは正しかった。NHKを中心とする放送業界全体が政府に管理された状態では、日本の放送・映画・音楽産業の売り上げをすべて合計してもタイム=ワーナー1社に及ばず、国際的に通用しない質の低い番組を高コストでつくる体質は改善できない。

それなのに、現在のNHK経営陣には、良くも悪くも島のようなリーダーシップはなく、ひたすら既存の制度を守ることに汲々としている。通信・放送懇談会も、日本のコンテンツ産業の足かせになっているNHKと民放の「二元体制」による寡占状態を変えないことに決めてしまった。もしも島がいま生きていれば、懇談会に乗り込んでNHKの「全面民営化」をぶち上げたかもしれない。