当ブログの「国家の品格」板では延々と議論が続いているが、きのうのTBでおもしろい問題提起があった。藤原氏のいう「会社は従業員のもの」というのは間違いで、商法では「会社は株主(法律用語では「社員」)のもの」だという批判である。実は私も、これとほとんど同じ論旨のコラムを『PC Japan』の今月号に書いた。

藤原氏は「会社が従業員のものではない、というルールは、私の理解を絶する」という。普通は、理解を絶するルールが法律になっていれば、どうしてそうなっているのか理解しようとするが、藤原氏はこれが諸悪の根源だと断じる。彼の主張が正しければ、大変だ。商法が間違っているのなら、至急改正しなければならない・・・

もちろん、そんなことは起こらない。なぜなら、間違っているのは藤原氏のほうだからである。会社とは、株主の投資によって得た非人的資産の集合体なのだから、その所有権が株主にあるのは当然だ。従業員は、会社と契約した「使用人」にすぎない。経済学的にも、「会社は従業員のものであるべきだ」というのは間違いである。現実に、チトー時代のユーゴスラヴィアでは、「労働者自主管理」によって企業が経営されたが、従業員は果てしなく賃上げを求め、設備投資は行われず、企業経営は破綻してしまったのである。

ただ従業員も人的資本に投資しているので、これを資本家が搾取すると、「企業特殊的な人的資本」への投資が行われない。したがって従業員にも一定の配慮が必要だが、彼らが意思決定をすべきではない。従業員が拒否権をもつと、企業の効率化を拒否し、資本の浪費が行われるからである。日本的経営の失敗も、これに近い。

この問題については、何千本もの論文があるが、Jean Tiroleのサーヴェイ(新著の第1章)によれば、多くの利害関係者(stakeholder)の合議によって意思決定を行う「ステークホルダー資本主義」は、理論的にも現実的にも、うまく行かない。したがって制度設計としては、株主が企業をコントロールし、労働者は流動的な労働市場で他に動けるようにすることが望ましい、というのが経済学の標準的な結論である。