文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)
いつまでも続く不毛な「歴史認識」論争を決着させるには、明治憲法以前にさかのぼる必要があるのかもしれない。本書は明治初頭(1871~)の岩倉使節団までさかのぼり、明治憲法ができるまでに西洋の何を学んだかをたどっている。

岩倉のころは、不平等条約の改正のためにいろいろな国の制度を勉強するというものだったが、その10年後の伊藤博文の憲法調査になると、プロイセンの国制をまねるための調査という色彩が強まり、ここで明治憲法の骨格が固まった。「憲法は花、行政法は根」という青木ドイツ大使の言葉が、そこで構想された「国のかたち」を象徴している。

伊藤の最大の問題意識は、「行政の肝要な部分は法律では決められない」というシュタインの「進化的」国家観だったという。それは「日々転変」する現実に即応するには、君主の命令でも議会の立法でもなく、官僚の裁量がもっとも適しているのだ、というものだった。

昨年のRIETIをめぐる騒動にもみられるように、この「行政中心主義」の遺伝子は、120年後の今日にも受け継がれている。日本が「坂の上の雲」をめざして近代化を急ぐときには、それでもよかったのかもしれない。しかし、坂を登りきった今、この伊藤の国家観まで立ち戻って考え直してみる必要があるのではないか。特に印象的なのは、こうした調査で司法の役割がほとんど問題になっていないことである。