「物事を正しく理解している人は同じように正しいが、バカはそれぞれにバカである」

これは私が「トルストイの法則」と呼んでいる経験則である(いうまでもなく『アンナ・カレーニナ』の冒頭の言葉になぞらえたもの)。「戦略的行動」の落とし穴は、すべての人々が問題を正しく理解していると仮定しているところにある。ナッシュ均衡が成立するには、厳密には全員の利得関数についての共通知識を全員がもつことが必要で、これは「真理は一つ」だということを前提にしている。

真理は一つかもしれないが、誤解は無数にある。そしてだれか一人でもバカがいると、ナッシュ均衡は成立せず、システム全体が混乱におちいる。市場の本質的な機能は、こういうバカを「自己責任」で退場させることによって、システムの挙動がバカに依存しないようにして安定を保つことにある。

だから非市場的な組織では、経営者がバカでも組織全体が崩壊しないfool proofに設計することが重要だ。コーポレート・ガバナンスというのも、結局そういうことである。英米型とか日独型とかいうが、パフォーマンスに大した違いはなく、最後は業績の悪化によって経営者がクビになるという実証研究もある。この場合も、最後は市場がバカを淘汰するメカニズムになっているわけだ。

ところが、政府や大学のような非営利組織では、市場メカニズムがきかないので、たまたま執行側と監視側にバカがそろうと、暴走が止まらなくなってしまう。日本経済では、市場の機能している部分から徐々に改革が進んでいるが、残されているのはこうした「バカよけ」装置としての市場の及ばない組織だ。なかでも普通のNPOは組織が崩壊することでバカを駆除できるが、外部から牽制のきかない政府は最悪である。