ケインズ理論などのマクロ経済学が新古典派的なミクロ経済学で基礎づけられないことは、昔から経済学の悩みの種だ。現在の主流は、今年ノーベル賞を受賞したKydland-Prescottに典型的にみられるように、経済全体を超合理的な「代表的個人」の行動の単純な集計と想定する「新しい古典派」アプローチだが、これは実証に合わないばかりでなく、論理的にも欠陥がある。

こういう想定が成り立つためには、各個人の効用関数が同一であるばかりでなく、全員が他人の需要関数について共通知識を持っていなければならない。これは「各人は価格だけを知っていればよい」という市場メカニズムの特徴に反するし、そもそも全員の効用関数が同じだったら、取引は起こらないだろう。

現実には、個人からみると合理的な行動の集計がバブルなどの非合理的な経済現象を引き起こすことは珍しくない。こういう非線形のミクロ的なふるまいをマクロ的に粗視化(coarse graining)する方法論は、物理学では「くりこみ」理論として知られているが、経済学にもようやく経済物理学として導入され始めた。

この観点からみると、新しい古典派の致命的な難点は、合理性の仮定ではなく、ミクロとマクロの「スケーラビリティ」を仮定していることだ。この種の理論が数学的に過度にテクニカルであることがよく非難されるが、むしろまだ経済学の数学的手法は十分テクニカルでないのかもしれない。